ラベル バックパッカーと労働 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル バックパッカーと労働 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2022年2月13日日曜日

DJ北林さんが死去…ヒートショック、2ヶ月経って発見

 

クーロン黒沢ファミリーの一員で、DVD作品『やさぐれ旅行人DJ北林』ナビゲーターとしておなじみだった『DJ北林』こと西野今朝彦(にしのけさひこ)さん(東京都出身)が、2021(令和3)年2月にヒートショックから来る急性心不全のため亡くなっていたことが明らかになりました。享年60歳でした。

1月4日に東京・池袋で開催された『DJ北林メモリアル浮遊会』の席上、クーロン黒沢より遺体発見時の映像も交えて説明されました。それによりますと、西野さんは2021(令和3)年2月頃、東京都西東京市の自宅で風呂から上がった際、ヒートショックによる急性心不全を起こして倒れ、一人暮らしだったため誰にも連絡できないまま息絶えてしまったとのことです。

春4月になり、2カ月以上も連絡が途絶えてさすがにおかしいと判断したクーロンが警察と消防に通報して自宅に強行突入。台所で変わり果てた姿の西野さんを発見したと、クーロンは語りました。

1960(昭和35)年生まれ。80年代後半から日本・タイ・カンボジア・フィリピンを行き来する生活を30年以上に渡って続けていて、例年日本の冬の時期はタイかフィリピンにいることが多かった西野さんでしたが、新型コロナウイルス(COVID-19)のパンデミックで出国が困難になり、1年を通して日本で過ごそうとした矢先の突然死でした。

董事長ふくちゃんがDJと出会ったのは、2006(平成18)年のこと。ビーマンバングラデシュ(BG=BBC)とエジプト航空(MS=MSR)が相次いでバンコク経由成田線の運航から撤退し、今後利用するべき航空便を相談しに来た時でした。当時はフィリピン航空(PR=PAL)しか選択肢がありませんでしたが、その後LCCのセブパシフィック(5J=CEB)が事業を拡大し、以後西野さんは2019年に最後の出国をするまで、セブパシフィックとAirAsiaグループを主に利用するようになりました。そして、AirAsiaの機内で売られている赤のポロシャツがいつしか西野さんのトレードマークとなっていったのです。


「熱帯仕様になっていた」(ブログ『SEX戦線異常なし』最後の更新より引用)身体が、日本の冬に耐えられなくなっていたのでしょうか。今は、謹んで冥福を祈るしかありません。

2019年8月30日金曜日

下川裕治、外こもり取材の集大成!『新版・生きづらい日本人を捨てる』

弊誌永遠名誉董事長・下川裕治は2000年代前半から、日本人が海外で無職生活を送る『外こもり』という生き方を追いかけてきました。董事長ふくちゃんが「伝説の外こもりすと」と言われたのももう一昔前。20年に渡る外こもり取材を集大成し、次の時代に語り継ごうという狙いで、下川は最新作を上梓しました。

『新版「生きづらい日本人」を捨てる』(光文社知恵の森文庫・864円)がそれです。2007年に発売された『日本を降りる若者たち』(講談社現代新書)、2010年の『「生き場」を探す日本人』(平凡社新書)、2012年に同じ光文社から出た『「生きづらい日本人」を捨てる』を事実上の3部作的な底本とし、それらの本に登場した人の「その後」を追いました。

小生については『日本を降りる』第1章と、『生き場を探す』4章を再録した上で、再び日本を拠点とするようになった現状を報告させていただいています。ですが、今回の本の一番の読ませどころは、『日本を降りる』第2章に登場したジミー金村さん(享年54歳、徳島県出身)の最期とそこに至る過程に触れた部分だろうと感じました。詳しいことは本をお読みいただくとして、弊誌でもお伝えしていなかった彼の生き様の真実が凝縮された文章は、少しでも彼を知っている「猿岩石世代」の元バックパッカーには辛くもあり、また違う意味で衝撃をもって受け止められることが必至です。



全国の書店のほか、日本アマゾン、楽天ブックスなどネット通販でもお買い求めいただけます。関係者の皆さんには、一読をお勧めします。

2018年8月12日日曜日

世界初!大韓航空がハンドキャリアを完全追放へ

大韓航空(KE=KAL ソウル特別市江西区、韓国証取上場)は、世界の民間航空会社として初めて、ハンドキャリー(旅客の預け手荷物枠を利用した商業貨物の緊急輸送)を全面禁止する政策を発表しました。日本のお盆とその後に控えるチュソク(秋夕:韓国のお盆)を前に、まず本拠地・仁川空港発の全便で実施し、好評なら仁川着や釜山・金海空港発着便でも実施する構えです。

日本地区本部(韓進インターナショナルジャパン:東京都港区)のHPが8月10日に更新され

「航空機の定時運航と円滑なお客様サービスをご提供するためすべての商業用物品の受託手荷物としてのお預かりは致しかねます」

と記載されました。

ここでいう商業用物品は、ハンドキャリー業者が引き受けた貨物のことを指します。ハンドキャリーは、郵便局のEMS(国際スピード郵便)や通常の航空貨物輸送でも間に合わないような超緊急の物品や書類を、個人旅客の預け手荷物枠を利用して運ぶサービスで、日本では1990年代のバックパッカーブームとともに注目され、マイレージマニアがJALグローバルクラブ(JGC)やANAカードスーパーフライヤーズクラブ(SFC)など、上級会員資格の修行を兼ねて運び手に志願する例があった他、季節労働者の副業としても重宝されてきました。

JGCやSFC、KALならモーニングカーム以上になれば、エコノミークラスでも預け手荷物枠を増やすことができ、その分、ハンドキャリー業者にとっては一人の運び手に依頼できる荷物の量が増えることになります。そのため、ハンドキャリー業者から依頼を受けて搭乗する運び手がチェックインカウンターに持ち込んだ荷物の処理に時間を要し、他の荷物の少ない乗客にまで迷惑がかかり最悪、定時(時刻表に記載の時間から15分以内)出発ができなくなる恐れがあるというのが、今回、会社側が出してきた建前です。

しかし実際は、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に向けた国連経済制裁逃れの闇貿易を封じるため、あるいはそれに乗じて、日本の暴力団が絡んだ密輸ルートの根絶を狙った可能性があるのではないかと、Traveler's Supportasiaでは分析します。

大韓航空は、高麗航空(JS=KOR、北朝鮮・平壌市中区)が国際線を就航させている北京首都空港、瀋陽(中国遼寧省)、ウラジオストック(ロシア・極東沿海地方)のすべてに定期便を飛ばしているので、これらの都市で運び手が高麗航空へ乗り継ぎをすれば、運び手が持ち込んだ荷物は北朝鮮国内に入ってしまいます。

また、ハンドキャリーで運ばれる物品は航空貨物としての通関を経ないため、何も知らずに引き受けた運び手が実は麻薬類や銃火器の部品を運んでいて、経由地で見つかって厳罰になるという事例も後を絶ちません。仁川空港経由日本へのルートは、アシアナ航空(OZ=AAR)利用も含め以前から裏社会では知られていて、今回、韓国税関とKALが組んでその根絶を狙ったのではないかとも考えられます。

当面は、仁川空港のチェックインカウンターと搭乗口でのみ適用するとしていますが、例えば日本発のKAL便利用で仁川から先もスルーチェックインされるケースにおいて、今回の規制が適用されるかどうかは現時点では不明です。日本からチェジュ航空(7C=JJA)やイースター航空(ZE=ESR)など他社便で仁川に入って、KAL便に乗り継ぐのであれば、当然規制対象となります。そして、商業用物品とみなされた品物はどんなものであっても航空貨物扱いとして、郵便事業者またはフォワーダー(航空混載貨物事業者)を通さなければならないという解釈がなされます。

2017年11月4日土曜日

期間工を正社員に昇格させない裏技

日本の自動車メーカー各社は、正社員として雇用している従業員の他に、雇用期間を切った契約社員である『期間従業員』を使っています。70年代以前は農閑期に仕事がない農業従事者を中心とした季節労働者の受け皿として使われてきましたが、今は現場作業員を安く使うための『雇用の調整弁』へと変化してきました。そして、この調整弁機能を今後も存続させる抜け道を政府・自民党に作らせ、実際に利用しはじめようとしています。

朝日新聞は11月4日付朝刊の1面トップに

『車大手、期間従業員の無期雇用を回避 法改正骨抜きに』

という見出しを立てました。アルバイトや契約社員の長期雇用を推進するため、2013年(平成25年)に改正された労働契約法(2007=平成19年法律128号)に抜け道条項が存在し、改正内容が骨抜きにされると指摘しています。

期間従業員を含む契約社員は

「必要以上に短い期間を定めることによりその有期労働契約を反復して更新することのないよう配慮しなければならない」(労働契約法17条)

とされており、表向き、1年に満たない単位で契約を更新するなどということは困難になりました。董事長ふくちゃんは1990年代にヤマト運輸(東京都中央区)に契約社員(社内呼称『パート社員』)として勤務していたことがあり、当初1年単位で契約していたのが、6カ月単位に変更されたことがあります。またヤマト運輸が直接雇用する「正規アルバイト」は現在でも、暦月2ヶ月の契約期間を終えた後、1ヶ月空けなければ再契約することができない制度になっています。

自動車メーカー各社の期間従業員も同様で、例えばトヨタ自動車(愛知県豊田市、東証1部上場)や豊田自動織機(愛知県刈谷市、東証1部上場)では3カ月単位、SUBARU(旧富士重工業:東京都渋谷区、東証1部上場)は4カ月単位で契約を更新しますがいずれも連続して35ヶ月を超える就労はできません。農業従事者の出稼ぎなど、3ヶ月や6ヶ月などの単位で故郷に帰る人が減って、長く働くことを希望する人が増えたにもかかわらず、期間工はあくまでも期間工、以前からの制度は変わっていないのです。この期間を超えて就労を希望する場合は、正社員登用試験を受けて合格するか、次の雇用契約まで最低でも6カ月のブランクを置く必要があります。

労働契約法には『無期雇用申し込み権』が定められており、申し込みがなされた場合、雇用主はこれを拒否することができません。

「同一の使用者との間で締結された二以上の有期労働契約の契約期間を通算した期間(次項において『通算契約期間という)が5年を超える労働者が当該使用者に対し現に締結している有期労働契約の契約期間が満了する日までの間に当該満了する日の翌日から労務が提供される期間の定めのない労働契約の締結の申込みをしたときは、使用者は当該申込みを承諾したものとみなす」(労働契約法18条の1)

しかし、前述した6ヶ月のブランクが、法の抜け道となっているのです。

「前の契約期間が満了した日とその次の有期労働契約の契約期間の初日との間にこれらの契約期間のいずれにも含まれない期間が6ヶ月以上あるときは当該空白期間前に満了した有期労働契約の契約期間は通算契約期間に算入しない」(労働契約法18条の2)

つまり、35ヶ月を満了した期間工であっても、6ヶ月のブランクがあれば通算5年勤務に達しても無期雇用転換を申し込むことができず、期間工として再契約しなければならなくなる、逆に会社側から見れば期間工として使い続けることができてしまうのです。SUBARUの募集専用Webサイトには

「フォークリフト運転は期間工の仕事。自分はこの仕事が好きだから正社員登用を申し込まず既に2回満期再契約している」

という先輩社員の声が掲載されていますが、言い方を換えればこれも、法令の抜け道を利用して期間工で長期間使い続けていることを会社自ら認めているようなものです。

一方で、ANA(NH、東京都港区)は客室乗務員に契約社員が多かったものの、13年の法改正直後に契約社員の新規採用を取りやめ、正社員へ一本化。日本航空(JL=JAL 東京都品川区、東証1部上場)は旧JALウェイズ(JO=JAZ)がバンコクベースのタイ人従業員を多数雇用していたこともあり調整が遅れたものの、2016年4月の時点で契約社員制度自体を廃止して全員正社員に切り替えました。日本マクドナルドホールディングス(東京都新宿区、東証1部上場)やエステティックTBC(正式社名:TBCグループ 東京都新宿区、東証1部上場)などは現在いる契約社員を全員無期雇用にする方針を打ち出していますが、これらも日本社会全体の対象者の数からみればまだまだ少数派です。

ヤマト運輸をはじめとする物流など労働集約型産業や、製造業では期間工ないし契約社員の活躍が多く、それらの雇用転換が実現しなければ海外に活躍の場を求める人も出てくるでしょう。このままでは、外こもり的な生き方をする人が出るのを止めることはできないだろうと、董事長ふくちゃんは考えます。

2016年9月15日木曜日

【超重要】Gダイアリー休刊へ!!17年204号で幕

タイ唯一の日本語総合雑誌として、風俗から旅行、オピニオンまで幅広く取り上げ17年に渡り続いてきた月刊『G-DIARY(ジーダイアリー、以下Gダイと略します)』が、今日発売の10月号をもって休刊となります。3代目編集長の西尾康晴さんが、個人と雑誌公式それぞれのFacebookページで明らかにしました。

Gダイは、タイで最も長い歴史を持つ日本語商業新聞『バンコク週報』の子会社、クエストメディア(バンラック区)が版元となり、1999年(平成11年)9月に創刊しました。初代編集長には、潮出版社(東京都千代田区)を退職した杉山博昭さんを迎え、杉山さんの人脈で堀田あきおさん、かよさん夫妻に連載漫画(『アジアのハッピーな歩き方』。前記事「『ディープな歩き方』堀田夫妻の新聞漫画」参照)を依頼。当時全盛だったバックパッカー旅行とタイの性風俗情報という2本の軸で支持を広げました。しかしこれには、バンコク週報で取り扱えない性風俗店関連の広告を受け入れるという、もう一つの狙いがありました。

その後、バックパッカー旅行が下火になるにつれて、徐々にジャーナリズムやオピニオン的な要素が強まっていきます。日本での発表の場が限られるジャーナリスト達に執筆の機会を与えたケースとしては、八木沢高明さん(『毛沢東の旅』、単行本は小学館『マオキッズ-毛沢東のこどもたちを巡る旅-』)や高野秀行さん(『ソマリランドの旅』、単行本は本の雑誌社『謎の独立国家ソマリランド、そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア』)らが特集記事で活躍。最終号となる今月号では嵐よういちさんが渾身の寄稿をまとめ上げました(『ジョージアという国を巡った』)

逆に在タイ日本人が書き手として世に出ていくこともありました。弊誌Traveler's Supportasiaでもご紹介したこともある小寺祐介さんや高田胤臣さんが代表格です。

一方、性風俗関連の記事では『アジアン王国』(大洋図書)など日本発のライバル誌に露出度で劣るものの、現地発でしかできない最新の情報を毎月更新し、風俗攻略の必須アイテムと言われた『最強マップ』と共に男性旅行者の大きな支持を集めました。

しかし、インターネットの普及による雑誌ビジネスの環境変化には抗しきれません。紙媒体の限界はすぐそこまで迫っていたのです。2015年12月、日本での同時印刷を中止したものの、タイでは紙媒体の発行を継続しました(前記事「日本向けGダイアリーが完全電子化!紙は今月がラスト」参照)。これがGダイの媒体寿命を縮めてしまった可能性があります。

紙の雑誌や電子書籍では広告を掲載しても、読者が購入しなければ見てもらえません。これは前にも書いた求人情報誌が商業雑誌として成り立たなくなった理由なのですが(前記事「商業誌版an全滅」参照)、同じことが風俗店にも言えるのです。特にタイの風俗店は日本の雑誌に広告を掲載しようとしても代理店レベルで受け付けてくれません。だからこそGダイの出る幕だったのが、Webで世界に発信できるようになれば、印刷媒体よりも安い費用で広く浸透していける。書き手の側にとっても、スペースに制限のないWebで大きな作品も披露できる。動画や音声と組み合わせてさらに理解やクリエイションを深められる。電子書籍でも動画の埋め込みなど紙にできない最先端の創造ができますが、Webサイトでの公開はアクセスしてきた全員に見てもらえるチャンスがあります。

西尾さんは

「無我夢中で雑誌を作り続けてきたがどこかで変わらなければならないと心の奥底ではずっと感じていた。でも私は紙媒体が好きで時代の流れに対して見て見ないふりをしていた。まだ(紙で)発刊し続けることはできるが近い将来変化を強いられるなら早いほうがいい。皆さんにはごめんなさいという気持ちで決めた。Webでの情報発信をやれるところまでやってみようと思う」

と書き、HPは存続すると発表。電子書籍での不定期配信にも含みを持たせています。

今月で創刊17周年の節目だったのですが、通巻204号で紙の雑誌としては終焉を迎えます。今後の新たな展開に期待と注目が集まります。

2016年2月1日月曜日

商業誌版an全滅!無料版も壊滅の危機

テンプホールディングス(東京都渋谷区、東証1部上場)と子会社のインテリジェンス(東京都千代田区)は、旧社名『学生援護会』の時代から60年に渡って発行を続けてきた求人情報専門誌an weekly』(旧日刊アルバイトニュース)の発行を大幅に縮小しました。東京首都圏では紙媒体の発行を取りやめてインターネットに集約し、最後まで有料の商業雑誌が残っていた福岡県でもフリーペーパーへ一本化。日刊『アルバイトニュース速報』以来48年に及んだ商業誌としてのanの歴史に終止符が打たれました。

anの源流といえる『学生タイムズ』は、1958(昭和33)年に創刊。1967(昭和42)年、日刊アルバイトニュース速報と改題、しばらく経って速報の文字が外れ『日刊アルバイトニュース』として定着。日本リクルートセンター(現・リクルートホールディングス 東京都千代田区、東証1部上場)が『FromA』でアルバイト求人分野に参入するまでは日本最大の短期・短時間労働専門メディアとして全盛を極めました。バブル期まではリクルート(『Bing』『とらばーゆ』『リクルートブック』)が正社員、学生援護会はアルバイトをそれぞれ主軸に置くという棲み分けができていました。しかし、バブル絶頂の頃に学生援護会が『DODA(デューダ。旧名週刊求人タイムス)』『Salida』で正社員募集に本格参入すると、リクルートはブルーカラー職種専門の『ガテン』を創刊するなど対抗して垣根が崩れます。その結果、日刊アルバイトニュース改め『デイリーan』は1994(平成6)年に平日週5回発行を取りやめました。

その後は週2回(毎週月曜日と木曜日発売)が長く続き、2000年代後半になって木曜日発売分を地域ごとに細分化した上でフリーペーパー『anエリア』に切り替えるなどしましたが、リクルートが商業雑誌での求人情報提供に早々と見切りをつけたのに対し、インテリジェンスは最近まで商業雑誌形態を何とかして残そうとしていました。ホームページ『Weban(ウェブアン)』は早くからありましたが、インターネットを使いこなせない中高年層をターゲットにした広告の需要が残っていると判断していたためです。弊誌Traveler's Supportasiaでも

「海外で生活する資金を日本で稼ごうという外こもりすとが帰国直後に、空港の書店や最寄の駅の売店、コンビニなどで買ったりもらったりするケースがあった」

とお伝えしたことがあります(前記事「交通量調査はタイミングと根気で入る」参照)

ですが、FromAが廃刊したのは「商業雑誌を買ってまでして」バイトを探す読者と、商業誌をわざわざ選んで出稿する企業の双方が減ったのが理由(前記事「FromA、次週で廃刊」参照)。版元的にも印刷や取次への配送といった手間がかかる上に「手に取らないと情報を得られない」紙媒体から「アクセスすれば広告を見てもらえるチャンスがある」Web・スマートフォンサイトへ移行させ、媒体としての魅力を高めたいという大義名分がありました。

首都圏では2013年11月に商業誌の発行を取りやめ、それまで木曜だったanエリアの発行日を月曜日に変更して一本化。そして、2015年9月14日発行号限りで近畿圏向けの5地域版のうち大阪府と兵庫県で配布していた2つが廃刊。さらに11月23日(月)発行号を最後に、首都圏向けanエリア全4版と北部九州向け商業誌の発行がなくなりました。これをもって日刊アルバイトニュース速報以来48年に渡った商業雑誌anの歴史は完全に終わったことになります。

なお、トヨタ自動車(愛知県豊田市、東証1部上場)や豊田自動織機(愛知県刈谷市、東証1部上場)など自動車関連産業の期間工や製造派遣といった募集広告が根強い中京圏と北部九州ではフリーペーパーの発行を当分の間継続するとしています。

2014年9月30日火曜日

御嶽山噴火!カオサンパッカーが最前線に立つ

27日正午前、日本2番目の高さを誇る活火山の御嶽山(3,067m、長野県王滝村・岐阜県下呂市)が7年ぶりに噴火しました。大規模な噴火は1979年(昭和54年)以来35年ぶりで、噴石や火山灰、火山ガスなどによって多数の死者が出て、遺体を収容できない状態が続いています。

御嶽山の9合目、頂上まであと100m程の標高差のところに、山小屋『二ノ池本館』(長野県王滝村)があります。ここは、バンコク・カオサンの日本人宿『ママズゲストハウス』を知っている人なら、わかるはず。ママズの元常連で、『G-DIARY』『アジアの雑誌』などでもライターとして活動した小寺祐介さん(34歳、石川県出身)が支配人、桑原誠さん(47歳、埼玉県出身)がスタッフとして活動しています。

噴火から1日以上を経た28日午後、小寺さんはNHK-G(総合テレビ)の臨時ニュースで電話取材を受け、二ノ池本館に避難してきた登山客を無事下山させたとアピールしました。

二ノ池本館は例年よりも1カ月遅い9月末まで営業する予定だったとHPで説明していて、なおかつ火口からは硫化水素を含む火山ガスが出ているとも伝えられていたため安否が心配されていました。

「噴煙が太陽を遮り夜のように真っ暗になった」(NHKニュースでの小寺さんの証言)
「(二ノ池本館の)トイレの屋根に噴石が直撃し崩れ落ちた」(産経新聞大阪本社の取材に対しての証言)

そこで、小寺さんと桑原さんは避難してきた50人ほどの登山者を二重屋根になっている建物中央部に集めました。

「ここなら屋根が頑丈だから大丈夫。タイミングを見て下山しましょう」 (産経新聞から引用)

それから1時間後、噴石と雨の音が止むのを見て、小寺さんは決断しました。

「今しかない。噴火口からできるだけ離れよう。全員ヘルメットを着けて、一列縦隊でゆっくり進んでくれ!!」(産経新聞から引用)

近くの「石室山荘」に到着する頃には、既に100人以上の登山者がいました。

「山頂に残ってる人がいるかもしれない。桑原さん、後を頼む!」

桑原さんは石室山荘のスタッフや木曽広域消防(長野県木曽町)と密に連絡を取りながら、タイミングを計ってさらに下の田の原登山口(長野県王滝村)まで誘導して全員無事下山させ、小寺さんも追って夜8時過ぎに下山しました。

「皆さまに大変な御心配をお掛けして申し訳ありませんでした。当日、午後8時に自力で下山可能な登山者を誘導しながら無事に下山しました」(小寺さんのFacebookより引用)

小寺さん、桑原さん共に、29日昼にJR中央線木曽福島駅(長野県木曽町)から帰途に就いたとのことです。小寺さんはFacebookで

「何よりも桑原さんのおかげだ。他の人を雇ってたら多分こうはいかなかった。(桑原さんと)2人で二ノ池本館を仕切って良かったと思った瞬間だった」

と述べています。

2014年5月31日土曜日

めざせ、日本国民2億人!?少子化ストップへの一歩

大学受験予備校『東進グループ』や中学受験予備校『四谷大塚』などを傘下に持つ教育産業大手・ナガセ(東京都武蔵野市、東証ジャスダック上場)の永瀬昭幸社長兼ファウンダーは29日、日本経済新聞朝刊で全面広告を打ちました。内閣総理大臣・安倍晋三(自民党・衆院山口4区)が「骨太の方針2014」に盛り込もうとしている「50年後に総人口1億人台維持」の目標に対抗し、「50年後に2億人突破」へ向けて大胆な政策を打つ必要がある、という強烈な意見広告で、董事長ふくちゃんをはじめ、読者からは衝撃をもって迎え入れられています。

日本の総人口を2億人まで引き上げるというのは、新興宗教団体『幸福の科学』を母体とする幸福実現党が2012年12月の衆議院総選挙で政権公約に書いていたのですが、これはあくまでも理想論止まりで、現実的に可能な手法論について議論される以前に、まったく相手にされませんでした。今回は、人口動態の変動が業界全体の長期的な見通しに直結する教育産業に長年身を置いた永瀬氏の発言だけに意味合いが大きく、日本経済新聞東京本社(東京都千代田区)も、会社名義の契約かつ永瀬氏が記者のインタビューに答えるという形を取るのであれば出稿をOKせざるを得ないとの判断に傾いたようです。

終戦直後の混乱期に生まれた『団塊第一世代』が定年を迎え、その子どもたちである『団塊ジュニア』も40代に差し掛かっている今、団塊ジュニア世代の子ども、即ち団塊第一世代の孫を産もうとする意欲が失われたゆえに少子化が進んでいるのではないか。逆に言えば、団塊ジュニア世代やその下にあたる昭和50~60年代、そして平成1ケタ生まれ世代が奮起すれば、日本の総人口は上昇カーブを描く。それに合わせて、教育産業の需要計算も変わっていき、2010年代後半を堪え切れば、東京オリンピック後の2020年代には再び成長への軸足を取ることができる。永瀬氏はこう考えたのです。

もちろん、この2億人と言う数字には、在外邦人の子供として海外で産まれ、日本国籍を取得した人も含まれます。最初は外国の教育を受けたとしても、いずれ日本に戻ってくる帰国子女の数は今以上に増えることになります。董事長ふくちゃんの住むバンコクでは、日本人学校(泰日協会学校、ホイクワン区)の児童・生徒数が増加の一途を辿っています。彼ら・彼女たちも必ず卒業の時を迎え、やがて大人になって、日本で子供を作ることになる訳です。その時に何ができるかを、今の世代が考えてあげないといけません。言うならば次の世代に何を残せるのかが問われているのです。

2014年4月12日土曜日

海外現地採用者の奨学金返還猶予に歯止め

弊誌Traveler's Supportasiaでは、2年半ほど前の記事で日本の大学卒業者に対する奨学金(日本学生支援機構第1種奨学金:旧日本育英会)の返還猶予制度について取り上げました。当時は民主党政権下で、事実上無期限の返還猶予、つまりは出世払いにすることもできなくはないと書きましたが、その後与党に復帰した自民党により改正され、一定の歯止めがかけられました。

返還が完全に免除となるのは、奨学金を借りた本人が返還期間中に死亡するか重度障害で働けなくなった場合、および大学院生が在学中に世界的業績を挙げた場合のみというのは変更ありません。ここでは、申請をすることで一定の期間返還を待ってもらう「返還猶予」に絞って取り上げます。

前記事「海外現地採用者の奨学金が出世払いに」では

「日本学生支援機構と文部科学省、それに与党連合(当時、民主党と旧国民新党)は、理由の3.にある『年収が300万円に満たない』場合の返済猶予期間をこれまでの最大5年から、無期限に延長することで事実上の出世払いを実現する方向で調整を進めてきました」

という記述があります。これは、2012年度の奨学生採用分から導入された所得連動返還型無利子奨学金という制度で、親が給与所得者(サラリーマン)の場合は年収300万円以下、自営業者であれば200万円以下の場合に、第一種奨学金の選考と同時に適用可否を機構側で決めて適用されるものです。

それに加えて、既に奨学金を借りて学校を卒業した人に対する措置があります。従来は、毎年1回申請をして、機構側の審査を通過すると最大5年間までの返還猶予が認められてきました。民主党では既卒者に対しても所得連動返還型に近い猶予制度を導入することをもくろんでいたといいますが、2012年12月の総選挙で誕生した第2次安倍内閣の下で見直しが行われ、この4月から実行に移されています。

具体的には、2011年4月以前に奨学生に採用されるか、親の所得が基準を超えるなど所得連動返還型無利子奨学金の適用を受けられない人について、これまで5年間だった猶予期間の上限が2倍の10年間に変更されています。これにより、卒業から相当の年月が経っている海外現地採用者については、出世払いの期間こそ延長されるものの、新卒や現在在学中の世代と違って一定の歯止めが設けられる形となった訳です。

しかし、海外での就活や外こもり活動に打って出る前に、日本で初年度分の返還猶予申請をしておかないと、後からでは大変です。どうしてもわからない場合は、日本学生支援機構市谷事務所の「奨学金返還相談センター」に電話し、指示を仰いでください。

+81-3-6743-6100 (月~金 8:30~20:00)

2012年5月4日金曜日

ホームレスよ、未来のない路上を捨てろ!!

バンコクで発行されているフリーペーパー「DACO」などで活躍されている、「言語芸人」白石昇さんが、2年ぶりに一時帰国を果たしました。その白石さんも裏では帰国費用の調達に苦労し、AirAsiaX(D7)で羽田空港に降り立つまでにも幾多の苦戦があった、しかも東京到着の当日は野宿をしたと自身のブログ日刊芸道馬鹿一代に綴っています。董事長ふくちゃんも2005年の一時帰国の時は、深夜のJRセントラルタワーズ(名古屋市)で途方にくれました。しかし、白石さんは知人の家に転がり込むことができ、董事長ふくちゃんも翌日には派遣会社の面接をクリアして寮住まいを始めていました。こういうことができる人は、非常に少数です。

ホームレスは1度入ってしまうと抜け出せなくなります東京や横浜でホームレスになった人の半分以上が、社会に復帰できずに生涯を終えていくというデータもあります。事実、ホームレスからまともに再就職できたという事例は極めて稀。今回の調査でも、今後について「今のままでいい」と答えた人が3人に1人、「職探しをするつもりもない」という答えは実に3人に2人に達したといいます。全体数が1万人を割ったとはいえ、残った人々の間に諦めムードが漂うホームレス社会に、明るい未来は期待できません。

何ができるか、今まで何をやってきたかを思い浮かべよう、日本を飛び出して海外にチャンスを求められるかもという自己啓発の意識が、早くホームレスから抜け出すヒントだと、董事長ふくちゃんは考えます。

だからといって、海外に来てまで日本人がホームレスをする理由は、どこにもありませんバックパッカーブームの頃のカオサンに行けば、助けてくれる旅行者はいくらでもいました。けれど今は、カオサンにさえ辿り着ければ助け舟くらいあるだろうという考えでいるならそうは問屋の大間崎。食事やシャワーこそパフラットのインド寺があるものの、その先の面倒まで見てくれる保証は一切ありません。あのMPツアーですら夜逃げしてなくなりました(前記事「カオサン最古の日系、MPツアーがドロン」参照)

(画像:帰国の航空券代にも窮したバックパッカー崩れのホームレス。カオサン通りにて撮影)

もしホームレスやネット屋難民を卒業するために海外に出るなら、本気で社会人としてしっかりと足を踏みしめられる状況に持っていこうという強い意志が必要です。体が動くうちしか、勝負をかけることはできません。働くという戦いに終わりはありません。寝たきりになってからでは遅すぎるのです。

2012年5月3日木曜日

ホームレスよ、もはや日本に未来はない

厚生労働省社会援護局地域福祉課は、5年に1度実施するとしていたホームレスの実態に関する全国調査の第3回調査を行い、その結果を発表しました。それによりますと、2007年の前回調査と比べて、ホームレスの全体数は減少したものの、それでも続けている人の仕事に就ける割合は半分以下に、そして収入は10分の1と激減していることがわかりました。

前記事日本のネット屋難民よ、目指すのは「道」か?でも書きましたが、日本ではホームレスとネット屋難民、そしてニートは、厳密な意味で区別されていますネット屋難民は家がないだけで、働く場所は既にあるか、日雇い派遣などでたやすく働くことができるし、場所探しも、インターネットが使えるというデジタルディバイド(情報格差)の面で圧倒的に有利。そのどちらもないゆえに、最も厳しい環境に置かれているのが、ホームレスです。

ホームレスができる仕事というと、日雇い労働か、廃品回収業くらい。毎日の食事の確保も、消費期限切れ前の値引き販売によって、捨てられるコンビニ弁当や菓子パンが圧倒的に減ったことで非常に厳しくなり、NGOによる炊き出しに依存する人が増えました。2008年のリーマンショック以降は、東京では23区内に5ヶ所ある自立支援センターに入るホームレスが多くなっていき、ホームレスの全体数は激減の一途を辿りました。4月13日に発表された今年度のホームレス概数調査では、初めて1万人の大台を割り込んだものの、その一方で、なおもホームレスを続けている人が今まで以上の過酷な環境に晒されていることも明らかになっています。

何より深刻なのが、収入の格差。5年前の前回調査では、「月に1万円以上稼げている」と答えた人が8割を超え、平均でも4万円近い数字をたたき出していたの対し、今回同様の答えをしたのはわずか6.2%。5万円以上稼げた回答者はいませんでした仕事ができている人の3分の2が「月に5,000円も得られていない」と答え、まったく働いていない人も全体の4割に達しているといいます。これに対し、ネット屋難民では2007年の前回調査時点でも平均月収が10万円強に上り、ホームレスとネット屋難民の収入格差は前回の2.5倍から、5年でなんと20倍まで拡大してしまっています。

ネット屋難民であれば、海外での仕事探しに踏み切ることは簡単。パスポートと航空券を調達するお金は作れますし、ネット屋さんが受け入れるなら、住民票を入れさせてもらってパスポートの申請を行うことができます。しかし、ホームレスではそれも難しい。けれども、このまま日本でホームレスを続けても、道を開くことは150%無理です。何とかしてお金を作って、海外に出てくるか、あるいは65歳まで待って年金と生活保護の組み合わせで卒業するか。年金の期待が薄い比較的若い世代なら、何とかして海外に出る方法を考えないといけません。

ですが、それすらも許されないのが実情です。10年パスポートを作るにも16,000円かかりますが、これはホームレスの平均月収の4~5カ月分。航空券も、例えばバンコク行きで燃油サーチャージを入れて4~5万円すれば、それこそ月収の1年分以上。これでは道を開こうにも、開けません。

2011年12月17日土曜日

海外現地採用者の奨学金が「出世払い」に

独立行政法人日本学生支援機構(東京都新宿区)は、大学・高校生に貸与している奨学金の返還が低所得によって滞るケースが続出しているとして、事実上の「出世払い」的な新しい返還制度を導入する意向です。共同通信が17日、政府筋の話として伝えたもので、19日、財務大臣・安住淳(民主党、衆院宮城5区)と文部科学大臣・中川正春(民主党、衆院三重2区)が2012年度予算折衝の席上、そのための予算確保を決定しました。

日本学生支援機構は、旧日本育英会から大学・高校生に対する奨学金の事業を引き継ぎました。とはいえ、奨学金は「支給」ではなく「貸与」しているもので、卒業後に返還(返済)しなければなりません。機構ホームページでも、

「先輩からの返還金を直ちに後輩の奨学金として貸与するしくみとなっており返還が円滑に行われないと次の貸与に重大な支障をきたすこととなります」

という記述がみられます。しかし、卒業後就職しても所得が低いなどの理由で、なかなか返還金を捻出することのできない元奨学生が増えています。日本を離れ、東南アジアで現地採用として働いている人も日本と海外の給与水準の格差を考えれば、然りなのです。

現在の制度下で、返還の免除を得るには大学院在学中に特に優れた業績を上げる(具体的には論文が海外の学術雑誌に掲載されるか世界的な賞を受ける)か重度の心身障害で働けなくなるのどちらかしかありません。以前なら「大学卒業または大学院修了後に教員採用、または研究職に就く」という選択肢もあったのですが、大学卒業者は1997年、大学院修了者も2004年の採用者を最後に廃止となっています。免除こそ非常に厳しいのですが、理由があれば返還の猶予を受けることはできます。

1.生活保護を受ける(1年おきに申請して廃止決定まで)
2.病気、ケガで働けない(1年おきに申請して健常な状態に戻るまで)

3.税込み年収が300万円(自営業者は申告所得200万円)に満たない(1年おきに申請して最大5年まで)

4.失業した(1年おきに申請して最大5年まで。ただし雇用保険の給付期間中=退職後6ヶ月以内に最初の申請をすること。退職から7ヶ月以上過ぎている場合は3.の理由となる)
5.高校3年生が大学受験に失敗または大学卒業直後に大学院進学、あるいは専門学校や他大学の3年次編入を目指すなどの理由で浪人した  (1年おきに申請して最大5年まで。ただし法科大学院修了者が司法試験を受験するなど、各種試験の場合は当てはまらない)
6.高校卒業後に防衛大学校(神奈川県横須賀市)、防衛医科大学校(埼玉県所沢市)、海上保安大学校(広島県呉市)、気象大学校(千葉県柏市)、職業能力開発総合大学校(東京都小平市)に進学した
 (卒業年次まで、高専3年生の進路変更も可。入校後すぐに大学校経由で申し出る)

7.大学卒業直後に青年海外協力隊員として派遣された(帰任まで。出発前に国際協力機構を通じて申し出ること)

この手続きをしない状態で、4ヶ月連続して日本の金融機関からの自動引き落とし(リレー返還)ができなかったり、海外からの送金による返還を怠ると、機構は「指定個人信用情報機関」の資格を持っているCIC(東京都新宿区)に連絡して延滞情報を登録するとしており、在学中や就職後に日本で作ったクレジットカードが更新できなくなって海外生活に支障が出る恐れもあります。

機構と文部科学省、それに与党連合(民主党と国民新党)は、理由の3.にある「年収が300万円に満たない」場合の返済猶予期間をこれまでの最大5年から、無期限に延長することで事実上の出世払いを実現する方向で調整を進めてきました。実現した場合、海外現地採用者の多くがこの制度の対象になり、日本に戻るまで返還金を納めなくてよいことになります。

 朝日新聞は対象として、

1.奨学生に採用された時点の親の年収が300万円以下
2.大学院は不可

という条件があるとしていますが、それでもかなりの数に上ります。外こもりは親が裕福だからできるもので関係ないだろとお思いの方がいらっしゃるなら、考えを改めていただかないといけません。

タイであれば、ボーナスがないと仮定して月収95,000Bt.(238,000円)以下が返還猶予を受けられる収入基準になります。ワークパーミットを取得できる最低所得が月収ベースで50,000Bt.、実際には20,000Bt.前後の給与しか受けていない人もいることを考えると、タイで働いている日本人現地採用者の過半数が無期限に返還猶予される、つまりは出世払い返還できることになるのです。

2011年6月22日水曜日

自動車メーカーの期間工復活か?

日本の大手自動車メーカーが、3.11東日本大震災後の生産回復に備えて期間従業員の採用を本格的に再開しています。震災被災者の雇用確保が喫緊の課題ですが、一方で震災を免れた在外のバックパッカーや外こもりすとにとっては、日本に帰国して次の旅の資金を稼ぐ絶好のチャンスが来たといえます。

Honda(本田技研工業:東京都港区、東証1部上場)では、日本国内に5ヶ所ある製作所(工場)ごとに募集をかけており、2009年から機能していなかった専用HPが再開しました。地震で被災した栃木製作所(栃木県真岡市)以外の4ヶ所の工場に勤務する期間従業員枠として合計1,000人程度を募集するとしており、埼玉製作所(埼玉県狭山市)では選考会がスタート。鈴鹿製作所(三重県鈴鹿市)も、今週末に行われる先行案内会から募集活動が本格化します。選考を通過後、一番早い人は7月9日から生産ラインに合流、活躍が始まることになります。

(画像1:タイ向けのホンダシビック。鈴鹿製作所には国内向け終了後も生産ラインが健在だ)

トヨタ自動車(愛知県豊田市、東証1部上場)は、2008年のリーマンショック後に期間従業員の採用活動が全面ストップしていました(前記事「トヨタ期間工縮小!仲間たちよ旅に出ろ」参照)。その後、「プリウス」のフルモデルチェンジを前に行った経験者に対する縁故採用などで950人程度が残っているものの、先月発表したHV「プリウスα」が納車まで1年待ちとなるなど、この秋以降に深刻な人手不足が予想されています。このため会社では3,000人~4,000人という大きな枠を設けて募集を再開します。

(画像2:タイ製のトヨタプリウス。日本では僚車も合わせて最大1年待ちだ)

トヨタグループでは他に、小型トラック「デュトロ」のモデルチェンジを控える日野自動車(東京都日野市、東証1部上場)が既に採用を再開しており、SUBARU(富士重工業:東京都新宿区、東証1部上場)も400人程度の募集を予定していると報じられています。

(画像3:タイでノックダウン生産された初代日野デュトロ。記事掲載と前後してフルモデルチェンジした)

日産自動車(横浜市西区、東証1部上場)、いすゞ自動車(東京都品川区、東証1部上場)、三菱ふそうトラックバス(川崎市中原区)も各社100~200人の枠で募集を始めるとしています。

2010年2月1日月曜日

東京のゲストハウスはワーキングプアの溜まり場か?

(この項、ゆうさん/神奈川県 からの投稿です。2回連載の2回目です)
 東京の天天ゲストハウスというところに、泊まったことがあります。その他にも名前は忘れましたが、もう一つのゲストハウスに泊まったことがあります。そこはワーキングプアの巣でした。明らかに空気がよどんでいるのです。活気も何もなにもない。

 沖縄のゲストハウスは、仕事をするという強い目的意識がある人が多かった。仕事をしないで沈没している人も、若者でも引退生活みたいな感じで、余暇を満喫している人が多かった。しかし、東京のゲストハウスはネガティブというか、明らかに負け組とでも言おうか、やる気がない人が多いのです。部屋の雰囲気も暗いです。
 私が泊まった部屋は、外国人が多く滞在する部屋だと聞かされていましたが、日本人ばかりで、しかも私までマイナス思考になってしまう雰囲気なのです。確かに外国人が主体のゲストハウスもあると思いますが、そういう宿は例外的なのかもしれません。


 東京と沖縄でこんなに滞在者の意思が違うのは驚きです。東京は家賃が高いので、ゲストハウスで家賃を節約したいのもわかりますが、この雰囲気では仕事のやる気が失せてしまいます。沖縄にも仕事はありますので、やる気のある人は沖縄へ行ったほうがいいかもしれません。

(董事長ふくちゃんから)
 ゆうさん。投稿ありがとうございます。2回連載という形で掲載しましたが、いかがでしょうか。

 前記事「外こもりはTOKYOチャレンジネットに救われない」で、バックパッカーや外こもりすとがネット屋難民になる時の話題を取り上げましたが、ゲストハウスの場合はネット屋と違って多くの施設で住民票を入れることもできるだけに、救われるのではと思われる方がいるでしょう。ですが、そうではないという実態もまた、明らかになってきています。
 董事長ふくちゃんも一時帰国中、東京・蒲田のネット屋で、1時間100円で深夜から翌朝まで過ごすというのを体験しました。パソコン1台が置けるごとに仕切られた狭いスペースで、パソコンをやるように見えて実は寝ているというネット屋難民が1フロアに数十人、全体で100人以上はいたでしょうか。しかも23時になるとドミトリーよろしく消灯もされるというのにはびっくりしました。
 ゲストハウスは住民票を入れられるという以外に、魅力がないと話す人もいました。横になって寝られるスペースがあるということでは、ネット屋の座敷仕立ての席でも一緒です。そこで仕事探しをしろと言われても、1人1台のパソコンを使わせてもらえるネット屋のほうが、全然環境はいいと言えます。
 次に一時帰国するときには、その辺の取材もしてみようと思っています。

2010年1月31日日曜日

沖縄のゲストハウスはタイの沈没宿と同じだった

(この項、ゆうさん/神奈川県 からの投稿です)
 先日、那覇市内のゲストハウス「CAMCAM沖縄」というところに泊まりました。そこは、タイの沈没宿と似ていました。
 滞在者の半分は、 宿に住んでいるのです。1年も住んでいるのはざらです。雰囲気もタイのゲストハウスを、1段格上にした感じで、非常に清潔で石鹸や洗剤などは、無料で使えました。
 何といってもこの居心地の良さは、経験しないとわからないと思います。最大のメリットはビザの心配がいらないことでしょう。日本の中なので、(日本国民であれば)ビザが必要なく、いくらでも長居出来ます。更に日本語も全く問題なく使えるのも、極めて大きなメリットの一つでしょう。


 沖縄に進出している企業も多数あります。マクドナルド、すき屋、どん亭、ジュンク堂書店、沖縄にしかないA&Wというハンバーガー屋、 ブックオフ、ゲオ、洋服の青山、100円ショップ、ほっともっと、マツモトキヨシ、その他、現地企業も含めればなんでもある。

 残りの半分は、沖縄へやってきて就職しようという人達です。就職して沖縄へ移住するのが目的です。半分は沈没者、半分は職探しの人でした。観光で来る人もいましたが、そういう人は宿に勤めて、半分働きながら観光も兼ねるという人が多かったです。沖縄は日本の中の異国。文化も本土と比べると少し違う。それがいいのでしょう。職探しの人がたくさんいました。

 沖縄へ移住するなら必ず覚えておきたい中高年の文化。沖縄は小国なので、昔から常に利用される歴史を歩んで来ました。明治時代、明治政府によって強制的に日本領にされ、戦争(沖縄戦)のときは捨石にされ助けてくれなかった。だから、今でも若者はそれほどでもないのですが、 中高年の人は県外(本土)からの就職に対して、よく思っていない人が多いそうです。
 沖縄は観光しか産業がないので、観光で来るなら歓迎されますが、就職となると、途端に嫌悪の感情が生まれるのは否定出来ないそうです。泊まったバックパッカーの人も、1年住んでそれがわかったといいますし、1日で気づいた人もいました。

 とはいえ、お金に余裕があるなら、住んでいるだけなら、嫌な思いはしないで住むので、手軽に南国気分を味わえる、絶好の穴場だと思います。沖縄は観光の町だけあって、宿泊施設はこれでもかというほど、たくさんありますので、住む場所に困ることはありません。
 芸能人の島田紳助も大の沖縄好きなんだそうです。でも、わかります。沖縄は一度行ったらやみつきになる、不思議な魅力を持った街です。タイにバックパッカー旅行をしたことがあるなら、沖縄へも是非行ってみるべきだと思います。

CAMCAM(カムカム)沖縄
〒900-0015 沖縄県那覇市久茂地(くもじ)2-20-12
TEL +81-98-863-0022

2010年1月25日月曜日

派遣切り組よ、タイに来るなら目的と意志を持て!!

(前記事「派遣切りの来タイ、成功するのは少数」から続きます。3回連載の3回目です)
「バックパッカーが帰りの航空券を片道で買うのはまだわかる。しかし、明らかにバックパッカーとは言えない日本人から、日本行き片道の航空券の注文を受けることがこの1年程度の間で随分増えた」
(とっぴーさん)

  シーロムに店を構えるさくらホリデイは、カオサンと違ってバックパッカーの来店は比較的少ない旅行代理店です。しかし、そのさくらホリデイで、片道航空券が頻繁に出るというのです。駐在員本人だけを残して家族を帰国させたり(前記事「パナソニック駐在員の家族、一斉帰国へ」参照)、駐在員自体を所帯持ちから独身者に交代させる(前記事「駐在員の帰任・交代、相次ぐ」参照)という例はこの1年間に何社もありました。ですが、それだけではありませんでした。


 ネット屋難民が来タイして、1ヶ月1万円程度の家賃のアパートに入ったとしても、半年程度の時間をかけて就職活動をしながら生活を続けるとなると、航空運賃の他に最低でも20ないし30万円程度は持ってこないといけません(前記事「日本のネット屋難民よ、目指すのは道か?」参照)。逆に言えば、その資金の中から万が一仕事が決まらなかった場合に備えて、帰りの航空運賃分だけは確保しておかないと、資金が底をついて帰れなくなり、オーバーステイや最悪、ホームレス転落という事態になります。欧米人の間では、帰りの航空券代すらも使い果たし、追い詰められて自殺するという例が出ていて、年に数回、外国人の恥を晒すような記事が地元の新聞の社会面を飾ります。

 自殺するような欧米人と、日本で「落ちこぼれ」て来た現地採用組を同類に扱うのもどうかと思いましたが、いつどこでどうなるかはわかりません。董事長ふくちゃんもカオサンでホームレスの経験があり、そこから立ち上がって今の自分があります。それだけに、本当の意味でタイに仕事を求めに来るならば、それなりの目的と、必ずやり遂げるという強い意志を持って来てほしいと思います。

2010年1月24日日曜日

派遣切り組の来タイ、成功するのは少数

(前記事「現地採用にも入れ替わりの時が」から続きます。3回連載の2回目です)
 シーロム通り(バンラック区)の日系旅行代理店「さくらホリデイ」に勤めるとっぴーさんは、董事長ふくちゃんの取材に対してこう述べました。

「日本で派遣切りされ、タイに仕事を求めて来た後、タイでも職探しに失敗し、失意のうちに本帰国する人も増えている」

  朝日新聞が記事で取り上げた、在タイの日系コールセンターというのは、タイでは相当な特殊能力を要する、いわば高度専門職、技能職です


 日本語能力検定(独立行政法人国際交流基金主催)に合格したり、日泰ハーフでネイティブ並みの日本語力があるタイ人を採用すると、タイの平均よりもはるかに高いコストがかかります。それに対して、ネイティブの日本人を雇おうとすると、日本よりも低い労賃で使うことができながら、タイ人専門職に比べてコストを抑えることができ、かつ、労働者本人には平均的なタイ人労働者に比べて全然高い水準の生活をさせることができるのです。
 会社が受注する仕事は100%日本の企業からのものなので、サービスのすべてを日本本国に向けて輸出するという意味で、BOI(政策投資委員会)は外資の投資促進に値すると判断。現に、コールセンター業務を行う会社には、ワークパーミット (就労許可)を通常の企業よりも多く出せる特権が労働省とBOIから与えられています。
 ところが、そこでも面接で落とされたり、採用されても1年未満で解雇される日本人がかなりの数に上ります。

「コールセンター業務で不採用になるのは余程使えないと思われた人。だけどそれが多すぎる」(とっぴーさん)

 自分の能力以前に、この会社なら間違いなく採用してくれるだろうという安心感だけで面接に来る人がいるというのです。董事長ふくちゃんが日本で日雇派遣の仕事に就いたとき、派遣会社の上司はふくちゃんに対し、本音を語ってくれました。

「2009年2月からの1ヶ月間で50人以上面接したけど、実際に採用したのは10人いるかいないか程度。落とした大半の応募者からはやる気が見えてこなかった特に他の日雇派遣会社を切られた人は尚更だった

 日本のネット屋難民が、目的やスキルもなしにタイに来ても、就職活動を成功できる保証はありません。ましてや日本で何社も面接して落とされ続け、それに対して文句をつけたりするような「性格の悪い」派遣切り組には、タイでの居場所はないと断じてもいいです。

  日本でいう日雇派遣があてがわれるような仕事は、タイでは外国人が就労できない業種ないしは職種とされています(単純労働:外国人就労法6条)。ところが、カンボジアやミャンマーからの不法入国者を使った方が、タイ人よりも安く使えるという事実もあります。200Bt.に満たない、下手するとタイ人の最低賃金にも届かない日給で現場と宿舎を往復するだけの生活をする、カンボジアやミャンマー出身の建設作業員。そこに日本人が入る余地は120%ありません。

(画像:バンコク市内の建設現場にて。作業員に性別、国籍は関係ない)

「タイに来ればサバーイサバーイ、誰でも簡単に仕事が見つかる、と思っている日本人が非常に多い」(とっぴーさん)

 日本人がタイで就職できるのは、あくまでもタイ人には難しい技能を求められる職種、即ち専門職です。日本語フリーペーパーの求人広告を見ても、日本でそれなりの経験を持った人を幹部候補として募集するというのが多く、全くの未経験、タイ語や英語も話せない、単に仕事が欲しいという理由だけで日本から来ましたという派遣切り組に対して、在タイの普通の会社では面接での評価を低くして当然です。ましてや、海外に出て何ヶ月も就職活動だけで生活を続けられる訳もありません。タイで採用されなければ、いつかは日本から持ってきた当面の生活資金が底をついて、帰国しなければならなくなる日が来ます。

2010年1月23日土曜日

現地採用にも入れ替わりの時が?

 2009年12月30日の朝日新聞朝刊1面と2面に、こんな記事が載りました。

「元派遣 新天地はタイ 低収入でも夢はある」

 この記事はasahi.comに掲載されず、紙面のみで展開されたので、ご覧になっていない在外の方もいらっしゃると思います。
 董事長ふくちゃんと、永遠名誉董事長・下川裕治は、この記事を担当した朝日新聞東京本社社会部の大和田武士(おおわだたけし)記者にバンコクで会いました。ネット検索で見つけた情報を参考にして来タイし、現地採用を求める非正規労働出身の日本人が、昨年から急に増えているといいます。

 ところが、日本から現地採用を求めて新規に来る人ばかりではありません。「既存」の現地採用組がステップアップを求めて日本へ帰るという例も、見受けられるようになっています。


 幸子さん(29歳、兵庫県出身)は、大学卒業後すぐからタイで働き始め、現地の日系企業を何社か渡り歩いてきました。ところが昨年末、「日本で正社員として働いたことがない」ということが、自分のキャリアの面でどうかなと思うようになりました。そこで彼女は、現地採用組としての活動に一旦終止符を打ち、「日本でのキャリア」を求めて本帰国しようと考えたのです。
 もともと彼女は、2003年に大学の交換留学で来タイし、留学期間満了と同時に卒業。日本ではなく、タイで就職活動を行いました。旅行者としてのタイは見ていたので、社会人としてより深くタイを見つめたかったというのが、タイで働く最大の理由だと彼女は語っています。
 地場の人材派遣会社に登録し、3社目の面接で採用された旅行会社に入社しますが、仕事が相当きつく、会社と家の往復しかない生活になった彼女。日本と同じスタイルに嫌気が差し、結局10ヶ月で依願退職してしまいます。
  転職先は日本人向けフリーペーパーの編集部。ここで働きながら、翻訳・通訳レベルのタイ語を身につけました。ところが、卒業から5年を経た2009年秋、彼女は本帰国を検討しだします。

「新卒からここまで、日本で働いたことがない。日本の会社で働いてみたい。それが自分のキャリアにとってプラスになる」

 しかし、世界は金融危機の波が襲っていました。会社からは、慰留されてしまいます。

「今あえて、日本に帰国してまで転職する必要はない。不景気の真っ只中で就職しても日本のすべてを見たことにはならない」

 それでも彼女は、日本への帰国を諦めませんでした。2009年12月限りで退職。今年2月には本帰国を予定しています。帰国後は、タイ語を生かせる仕事に就くことを希望しています。

 紙面にもありましたが、優秀な人は何かしらのステップアップ、キャリアアップを求めて転職を目指します。幸子さんのように、タイでそれなりのスキルを身につけ、もっと活躍できる場所を求めて本帰国しようという現地採用出身者はまだまだ少数派です。現地採用で成功した邦人の共通項として、はっきりとした目的、それを貫徹しようという意志、そしてそこで身についたスキルがあると彼女は分析しています。
 幸子さんは最初、「社会人としてより深いタイを見たい」というのが理由だと書きました。それは端から見たら不純な動機かもしれません。しかし、留学生としての経験がある彼女だからこそ、ちゃんとした理由として成立するのです。

 彼女曰く、

「日本で就職できなかった「落ちこぼれ」的な新卒が、タイに拾われる。逆に言えば、タイが拾うという偏見があってもおかしくはない」

 現に、そのような傾向も出てきています。

2009年11月26日木曜日

バックパッカーを全面否定する仕分け人

2010年度政府予算編成にあたっては、「事業仕分け」が行われ徹底的に予算の無駄を洗い出そうとしています。外務省関連では、青年海外協力隊やJICAシニアボランティアなど、開発途上国への人材派遣コストが相場よりも高いとして、予算削減を求められました。

この席上、仕分け人を務めた有識者は青年海外協力隊が日本国内の失業対策と化しているとか、自分探しだとか言っている連中ばかり集めているなどと一方的に批判しました。これは外こもり以前に、日本に折角根ざしかけたバックパッカー文化そのものを完全に否定しかねない暴言であり、到底許されるものではありません。単純に経費のレベルで非難するべきだと、董事長ふくちゃんは考えます。


時事通信の報道によりますと、

「青年海外協力隊に関し”自分探し”の人(=バックパッカー)をかき集めて、半ば失業対策になっているなどの批判が噴出して「削減」とした」

というのです。これに対し、他の全国紙各紙は一切触れていません。

仕分け人のこの発言が事実なら、バックパッカーや外こもりという生き方は日本に根付くはずなどない、根底から認められるものではないと解釈できます。海外現地採用を目指して日本を出て行く人も含め、私たち在外日本人社会に対して極端な偏見があるとしか言いようがありません。駐在員至上主義ともいえる机上の妄言、まさに言語道断です。

独立行政法人国際協力機構(JICA)が募集する青年海外協力隊員は、4ヶ月の研修を経て本採用が決まると、緑色の「公用パスポート」を受け取って、それぞれの任国へと旅立ちます。公務員と同じ資格で海外に行かせるのですからそれなりの責任ある人、技量を持つ人、即ち優秀な人材でなければならないという建前があるのはわかります。少子化で協力隊員のなり手の絶対数が減っていくのも理解できます。しかし、団塊ジュニア世代が40代を迎えようとする今頃になって、その下(1980年以降生まれ)の世代の失業対策を引き合いに出して非難するのは、筋違いといえるのではないでしょうか?

青年海外協力隊やJICAシニア海外ボランティアに参加した派遣対象者に支給される経費が、相場より高いというのならまだ理解できないこともありません。JICAホームページにはこの経費は給料や報酬ではないと記述されていますが、一定の支払い基準があり、青年海外協力隊よりもシニアボランティアのほうが経費支給額は大きくなります。例えばシニアボランティアでタイに派遣されてくると、現地生活費として月額US$810(約27,000Bt.)が支給されます。受け入れ先から住居を提供されなかった場合はJICAの指示でアパートを借りますが、この住居費がタイの場合月額US$1,000(約33,000Bt.)まで認められます。

この基準は、「現地調査に基づき地元民と同等の生活を営み得る水準」とされていますが、タイの場合、バンコク首都圏と地方では極端な差があります。月額27,000Bt.というのは、バンコク首都圏に住むタイ人でもそれなりの技量を持った上級管理職でないと給料としてはもらえません当然学歴は大学卒です。大学を出ていない一般職ですと、月に10,000Bt.台の給料が関の山で、それすらももらえずに売春で補填しなければ家賃を払えないという小売業従事の女性を、董事長ふくちゃんは何度も目撃しています。

地方で農業に従事していると月額換算5,000Bt.相当の売り上げも得られない例がよくあるといいます。そういう人に27,000Bt.の月収なんて夢のまた夢。特にメーホンソン県では県内の平均月収が3,000Bt.(タイ全76県で最下位)しかなく、バンコク首都圏とは一桁違ってきます。

それゆえに年頃の娘をバンコクやパタヤの風俗店に出稼ぎに行かせ、稼ぎを仕送りさせる親が未だに多く、娘が金持ちの欧米人常連客と結婚ともなればその家は村で一番の名家に成り上がってしまうのです。

そんなタイで、27,000Bt.ももらっている協力隊員やシニアボランティアに、地元民と同等の生活レベルなんて分かるはずがありません。しかも家族を呼び寄せれば現地生活費は1.75倍US$1,400(46,000Bt.)も支給されてしまいます。

日本と全く同じ水準の生活をしようとすると東南アジアでは上流階級になってしまうんです(シンガポールを除く)。ましてや住居費が別に出ていると、その時点で現地生活費は全額、そっくり手元に残って食事や遊興に使える。ボランティア精神で行くのが基本と言っておきながら実は民間企業の駐在員も真っ青の優雅な暮らしをしている人もいます。
むしろ現地採用者や外こもりすとの方がよく分かっている、とも言えます。現地採用者は、安い給与の中から住居費を捻出しないといけません。ですから借りるアパートは地元民の平均レベルで、バンコク首都圏でもエアコンがついて3,000バーツ台のアパートはあります。10,000バーツも出せばちょっとしたコンドミニアムや最低ランクのサービスアパートメントが借りられてしまいます。

そういう事実を理解せずに、自分探しのバックパッカーだけをかき集めてという発言がよくもまぁできたもんです。仕分け人の皆さん、有識者を騙るのなら、一度カオサンなりチェンライなりに来て、ご自身の目で現状を確かめていただきたい。バックパッカーや外こもりを一刀両断にするのは、それからにしてください。

2009年9月16日水曜日

ガテンも9月限りで廃刊

リクルート(東京都中央区)は社内で唯一商業誌として残していた求人情報誌「ガテン」を9月30日(水)発売号を持って休刊(実質的な廃刊)すると発表しました。

ガテンは1991年(平成3年)、「FromA」から3K(きつい、汚い、危険)や古くからの職人的な業種、いわゆるブルーカラー職種を独立させて誕生しました。当初は毎週木曜日発売で、後に水曜日に移動させてFromAとの共存を実現。大卒、ホワイトカラー職種を対象とした正社員求人誌「B-ing(ビーイング)」との棲み分けも見事にでき、販売地域を首都圏限定としながらも最盛期には10万部以上を売っていました。

2000年、リクルートはFromAの掲載内容を地域ごとに細分化した形のフリーペーパー「TOWNWORK(タウンワーク)」を創刊、東京都内で配布を開始します。これが大当たりして全国主要都市に拡大。その後、B-ingの実質無料化とも言える正社員求人フリーペーパー「TOWNWORK社員」も全国に広げていきました。

商業誌としての存在意義を失ったB-ingは2008年3月26日発売号で廃刊、さらにFromAも今年3月30日発売号を最後に廃刊(前記事「FromA、次週で廃刊」参照)となり、タウンワークネットのようなWebサイトを設けないという条件で商業誌として存立していたガテンですら、部数は最盛期の半分以下に減る始末。リクルートはFromA廃刊からわずか半年でガテンも廃刊にすることを決めたのですが、その際プレスリリースで

「読者層や掲載広告の内容が近似しているTOWNWORK社員に統合せざるを得ない」


と書き、実質、無料化を表明せざるを得ない状況にまで追い込まれていました。