2012年5月4日金曜日

ホームレスよ、未来のない路上を捨てろ!!

バンコクで発行されているフリーペーパー「DACO」などで活躍されている、「言語芸人」白石昇さんが、2年ぶりに一時帰国を果たしました。その白石さんも裏では帰国費用の調達に苦労し、AirAsiaX(D7)で羽田空港に降り立つまでにも幾多の苦戦があった、しかも東京到着の当日は野宿をしたと自身のブログ日刊芸道馬鹿一代に綴っています。董事長ふくちゃんも2005年の一時帰国の時は、深夜のJRセントラルタワーズ(名古屋市)で途方にくれました。しかし、白石さんは知人の家に転がり込むことができ、董事長ふくちゃんも翌日には派遣会社の面接をクリアして寮住まいを始めていました。こういうことができる人は、非常に少数です。

ホームレスは1度入ってしまうと抜け出せなくなります東京や横浜でホームレスになった人の半分以上が、社会に復帰できずに生涯を終えていくというデータもあります。事実、ホームレスからまともに再就職できたという事例は極めて稀。今回の調査でも、今後について「今のままでいい」と答えた人が3人に1人、「職探しをするつもりもない」という答えは実に3人に2人に達したといいます。全体数が1万人を割ったとはいえ、残った人々の間に諦めムードが漂うホームレス社会に、明るい未来は期待できません。

何ができるか、今まで何をやってきたかを思い浮かべよう、日本を飛び出して海外にチャンスを求められるかもという自己啓発の意識が、早くホームレスから抜け出すヒントだと、董事長ふくちゃんは考えます。

だからといって、海外に来てまで日本人がホームレスをする理由は、どこにもありませんバックパッカーブームの頃のカオサンに行けば、助けてくれる旅行者はいくらでもいました。けれど今は、カオサンにさえ辿り着ければ助け舟くらいあるだろうという考えでいるならそうは問屋の大間崎。食事やシャワーこそパフラットのインド寺があるものの、その先の面倒まで見てくれる保証は一切ありません。あのMPツアーですら夜逃げしてなくなりました(前記事「カオサン最古の日系、MPツアーがドロン」参照)

(画像:帰国の航空券代にも窮したバックパッカー崩れのホームレス。カオサン通りにて撮影)

もしホームレスやネット屋難民を卒業するために海外に出るなら、本気で社会人としてしっかりと足を踏みしめられる状況に持っていこうという強い意志が必要です。体が動くうちしか、勝負をかけることはできません。働くという戦いに終わりはありません。寝たきりになってからでは遅すぎるのです。