ベトナム航空(VN=HVN:ハノイ市ロンビエン区、ハノイ証取上場)とカンタス航空(QF=QFA、オーストラリア・シドニー)は、ジェットスターパシフィックエアウェイズ(BL=PIC、ホーチミンシティ特別市タンビン区)に係る合弁事業を解消することで合意しました。今後、カンタスが保有するジェットスターパシフィックの持株をベトナム航空に引き渡すといい、ジェットスターパシフィックはベトナム航空の第二会社『パシフィックエアラインズ』として独自にLCC事業を展開、ベトジェットエア(VJ=VJC)とバンブーエアウェイズ(QH=BAV)の民間2社に戦いを挑むことになります。
ジェットスターパシフィックになる前の初代パシフィックエアラインズは、1990年12月にベトナム航空が台湾への就航を目指して設立した第二会社でした。当時は中国が掲げる『一つの中国(一中)』政策が航空業界に対しては厳格に適用されていて、航空会社は中国か台湾のどちらに就航するかを選択しなければならず、日本航空(JL=JAL)は台湾線のみに就航する子会社日本アジア航空(EG=JAA、東京都品川区)を設立していました。つまり、日本アジア航空のような位置付けの第二会社を作ろうとベトナム航空は判断した訳です。
この初代パシフィックエアラインズが2008年、ベトナム初のLCCとしてジェットスターグループ入りし、ジェットスターパシフィックエアウェイズに生まれ変わります(前記事「ジェットスター第3のハブはホーチミン」参照)。それまでB737ファミリーを使っていた機材をジェットスターの標準であるエアバス320ceoに総入れ替えし、主力のハノイ(ノイバイ)~ホーチミン(タンソニャット)線などを増便しました。2012年にはベトジェットエアの増便に対抗し、ベトナム航空との共同で事実上のシャトル便化を行い(前記事「ハノイ~ホーチミンシティ間、シャトル便時代始まる」参照)、2017年には日本への乗り入れも果たしました。
しかし、ジェットスターグループ他社と一部サービスレベルに違いがあったことから同等の品質を求める乗客に敬遠されたこと、また国際線でベトジェットエアとの競争に事実上敗れたことの2点が致命的となりました。特に東北アジアへのフライトでは、エアバス320ceoでホーチミンシティからの日本・韓国路線を就航させることが出来ず、エアバス321neoで成田国際空港(千葉県成田市)などへの路線を展開したベトジェットの独走状態となってしまいます。この結果2019年7月に日本路線を廃止(前記事「ジェットスターパシフィックが日本撤退!関空路線2年持たず」参照)。そして新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックに伴う壊滅的減便・運休の中でカンタス側が事業見直しを行った中に、ベトナム事業からの資本引き上げが含まれていました。
今後、ジェットスター改め2代目パシフィックエアラインズはベトナム航空の第二会社という2007年以前の立ち位置に復帰し、引き続きLCC事業を展開します。