2018年12月25日火曜日

高齢バックパッカーの鑑、フーテントクさんマレーシアで客死

2000年代以降のカオサン住人の間で名が通った高齢バックパッカー「フーテンのトク」こと、田辺徳雄さん(香川県出身)が今年9月、入院先のマレーシア・ペナン州ジョージタウンの病院で亡くなっていたことがわかりました。72歳でした。

(画像:17年12月、最後の旅でカオサンに到着した田辺さん。HPより拝借しました)

1946(昭和21)年、香川県東かがわ市(旧白鳥町)生まれ。国内シェア90%に達する旧白鳥町の地場産業、手袋製造の関連分野でもある刺繍業を営んでいましたが、家業を息子さんに任せるメドが立った2002年からほぼ毎年のように海外旅行をされていました。日本が秋から冬を迎える11月以降に出発して、翌年の春頃まで東南アジアで過ごすという生活スタイルになり、その記録をWebサイトフーテントクさんの男はつらいよ旅日記に残すのが、田辺さんの日課でした。

田辺さんは、2002年10月に初めてカオサンを訪れました。董事長ふくちゃんと知り合ったのは、2005年1月のこと。当時のカオサンの安宿はまだバックパッカーブームの名残が見られ、日本人旅行者も多く見受けられた頃で、団塊第一世代の田辺さんも同世代の方を中心に、息子や孫の世代の若い旅行者とも盛んに交流していました。

そして、今回の旅は2017年12月20日のタイエアアジアX(XJ=TAX)611便でドンムアン空港に到着、定宿のPCゲストハウス(プラナコン区)に入ってビザなしギリギリの4週間滞在した後、1月18日の寝台特急45列車でパダンバサール(マレーシア・プルリス州)乗り継ぎ、バターワース駅に到着。ペナン島に渡り、海路インドネシアへと旅を続ける予定でした。しかし、1月26日のジョージタウンでの画像を最後にHPの更新が途絶えてしまいます。田辺さんは病に倒れ、入院生活を送ることになってしまったのです。日本に残してきたご家族もマレーシアに向かい、全力で看病にあたったものの、日本が秋の声を聞こうとする9月、ついに力尽きてこの世を去ったとのことです。

しかし、この訃報が日本のバックパッカー仲間のもとに届くには、3ヶ月もの時間がかかりました。田辺さんと10年以上の付き合いがあった、同じ高齢バックパッカーの茶屋敬助こと山田敬二さん(82歳、愛知県出身)が訃報を知ってFacebookに投稿したのは、12月20日のことでした。

Webサイトは、トップページこそご家族からのメッセージに差し替えられているものの、目次のページをGoogle検索すれば生前の活躍をすべて見ることができます。旅に生き旅先で倒れた田辺さんの人生を思い、謹んで合掌を捧げます。