2018年10月29日月曜日

アジアアトランティックエアラインズが運航停止、清算へ

エイチ・アイ・エス(H.I.S. 東京都新宿区、東証1部上場)グループのチャーター専門航空会社、アジアアトランティックエアラインズ(AAA:HB=AAQ、クロントイ区)が8月末で運航を停止し、会社清算の手続きに入っていることがわかりました。2012年12月の設立から6年弱、運航開始後5年余りで事業継続が不可能になった形。H.I.S.では10月31日締めの第38期連結本決算に18億円余りの特別損失を計上して、処理を急ぎます。

タイではかなり以前から、チャーター専門航空会社が成り立つ素地がありました。しかし、脆弱な財務基盤に加え事業許可に対する政府側の甘い審査体制もあって、プーケットエア(9R=VAP)やビジネスエア(8B=BCC)、ジェットアジアエアウェイズ(JF=JAA)、Rエアラインズ(RK=RCT)などが雨後の筍のように現れては消えていきました。

H.I.S.のタイ事業を担当する現地法人『HISツアーズタイランド』(クロントイ区)は、東日本大震災後の2011年夏からバンコク発の用機チャーター事業に参入し、ビジネスエアやジェットアジアエアウェイズに運航を委託するなどの取引を行いました。この過程で、自社グループ内にチャーターキャリアを作れば、スカイマーク(BC=SKY、東京都大田区)が設立された当初に得たノウハウを生かすことができる、また本格航空会社(FSC)ほどのきめ細かさでなくても日本式の高いクオリティで地元に浸透し、企業を成長させられるとH.I.S.は判断したものです。タイ側の合弁パートナーにバイヨークスカイホテルなどで知られるバイヨークグループ(ラチャテーウィ区)を迎え、2012年12月にアジアアトランティックを正式に設立。13年春に航空運送事業許可(AOC)を取得しました。

しかし、運航開始から半年余りでバンコクシャットダウン、1年後には5.22クーデターが起こり、外国人観光客の足がタイから遠のいていきます。しかも、AAAはタイ発のチャーター専門キャリアなので日本からのお客様は乗ることが出来ず、日本発のアウトバウンド市場に食い込んでいけませんでした。14年9月にはタイエアアジアX(XJ=TAX)が日本へ就航し、AAAはFSCとLCCの狭間で立ち位置を失うという、過去のチャーター専門キャリアと同様のパターンに陥ってしまいました。AAAは打開策として、当時日本への定期直行便がなかったカンボジア経由での運航を目論みますがタイ運輸省の認可を取れず、実現できないまま終わりました(前記事「AAA、カンボジア経由で安定基盤確立へ」参照)

そこへ15年3月、タイ運輸省国営民間航空局(CAAT:ラクシー区)に対するICAO(国際民間航空機関)のSSC発行という事態が襲います。AAAはSSC発行を受けてタイと2国間オープンスカイ協定のある中国への路線に経営の軸足を移す一方で、既に実績のあったバンコク(スワンナプーム)~新千歳間の定期チャーター便も引き続き運航してきました。

東京で編集されている業界専門サイト『トラベルビジョン』は、発行から2年以上を経て新規路線の開設停止(チャーター便でも過去に実績のない空港への新たな運航は不可)、既存路線の増便不許可というSSCの効力がAAAにとってボクシングのジャブのように効き出し、経営が悪化したと報じました。AAAは中国資本への第三者割当増資でこの危機をしのごうとしたものの、中国政府による対外投資規制強化というダブルパンチが重なり、増資に失敗します。

国営民間航空局へのSSCは2017年10月に解除され、AAAも新規の都市へのチャーター便を運航することができるようになりましたが、手元資金の不足が深刻化。それでもH.I.S.日本本社による立て替え払いで細々と運航を維持し、機体の整備もできていたとはいえ、タイエアアジアXやノックスクート(XW=NCT)といったタイ国籍のLCCと違い、機材の更新や中国以外への定期路線進出といった「次の一手」を打ち出すことができませんでした。日本の国土交通省航空局へ『外国人国際航空運送事業の経営許可』を申請して、新千歳線を通年定期便化することも結局、叶わずじまいとなってしまいます。

H.I.S.日本本社も決算期である10月末を目前に控えて、今決算期限りでAAAに対する運転資金の立て替えなど財政支援を打ち切ると通達。10月26日発表の適時開示で東京証券取引所(TSE:東京都中央区)にも報告されていました。AAAは今年8月31日、運航を取りやめて残務整理に入っていたと伝えられています。