四国急行フェリー(香川県高松市)は、親会社の四国フェリー(高松市)から受け継いで運航していた宇野(岡山県玉野市)~高松間の「宇高航路」を12月15日限りで休止(事実上の廃止)すると発表、国土交通省四国運輸局に届け出ました。1980年代以前には旧国鉄と民間3社の手で24時間、毎日160便以上運航されていた宇高間のフェリーはこれで全社撤退。岡山市と高松市を結ぶ旅客輸送はJR瀬戸大橋線の快速『マリンライナー』の独壇場となります。
宇高間のフェリーは、1910年(明治43年)に鉄道院(現・国土交通省)が立ち上げた宇高連絡船以来、109年の歴史を積み重ねてきました。戦後の1956年(昭和31年)、初の民間事業者として四国フェリー(当時の社名は四国自動車航送)が設立され新規参入。1959年(昭和34年)に『日通フェリー』こと津国汽船(岡山県玉野市)、1961年(昭和36年)には宇高国道フェリー(高松市)が新規参入を果たし、国鉄四国総局と民間3社によるフェリーは本州と四国を結ぶ大動脈となりました。
最盛期には、民間全社が24時間運航を行い、宇高国道フェリーだけで1日68往復、四国フェリーは1日50往復、津国汽船も1日32往復運航。国鉄の宇高連絡船は廃止直前で1日15往復でしたが、宇野発高松行き最終便に接続する宇和島(愛媛県宇和島市)行きの急行『うわじま1号』と高知行き普通列車が、共に深夜0時台に出発して朝到着するという今ではあり得ないダイヤが組まれていました。
1988年(昭和63年)、JR瀬戸大橋線が開通すると、宇高連絡船は代替廃止になり、人だけの輸送は快速マリンライナーが主力になります。しかし、車は瀬戸中央自動車道の料金が片道6,300円とこれまたあり得ないレベルの高額設定だったため、瀬戸大橋への転移がなかなか進まず、並行する高速バスもわずか5年で廃止になる有様で、フェリーを運航する民間3社すべてが21世紀になっても事業を存続してきました。高松港の入港船舶隻数、フェリー旅客数およびフェリー貨物トン数も全国上位であり続け、瀬戸内海最大の重要港湾、四国の玄関口と言われ続けてきました。
ところが、1998年(平成10年)に明石海峡大橋が開通すると、四国と近畿圏を結ぶ長距離旅客は明石海峡大橋経由のバスへ一気に流れます。特に徳島県東部では、瀬戸大橋を回ると圧倒的に遠回りとなるため対近畿圏輸送はバスの独壇場と化し、高松からも2003年(平成15年)に全線開通した高松自動車道を経由する大阪や神戸へのバスが毎日50便以上運行されるようになりました。それでも本四連絡橋の料金の高さを嫌った長距離トラックに根強く支持されていたものの、ETC搭載を条件とする割引料金が導入されたことや民主党政権時代の社会実験によってようやく移行が本格化し、フェリー3社にとっての「この世の春」は終幕を迎えました。
『本四フェリー』とブランドを改めていた津国汽船は、2009年3月31日限りで運航を廃止し2012年に倒産。宇高国道フェリーは10年に1日22往復(1時間1本)へ減らした後、12年10月17日限りで休止となりました。2013年に入るとジェットスタージャパン(GK=JJP、千葉県成田市)が成田~高松・松山線、Peach(MM=APJ、大阪府田尻町)は関空~松山線を就航させ、SPRING JAPAN(IJ=SJO、千葉県成田市)も成田~高松に一時就航し、特に東京との間を結ぶ長距離客を中心に飛行機、それもLCCへの転移が加速します。14年には、社会実験の結果報告を受けた安倍内閣の指示でJB本四高速(正式社名:本州四国連絡高速道路、神戸市中央区)の建設費償還を日本高速道路保有・債務返済機構(横浜市西区)に移管して、瀬戸中央自動車道通行料金の大幅値下げを実現させました。
こうして最後まで残った四国フェリーも、14年7月15日限りで24時間運航をやめ、17年には1日5往復まで減らし、本船『第一しょうどしま丸』の老朽化も相まってついに運航撤退を決断せざるを得なくなりました。
岡山と宇野の間を結ぶ公共交通は、JR宇野みなと線と、両備ホールディングス(両備バス:岡山市北区)の玉野渋川特急線があります。一方、高松と宇野の間を移動する手段としては、JR瀬戸大橋線で茶屋町駅(岡山県倉敷市)まで行き、宇野みなと線に乗り換えるのが最も確実です。
しかし、125cc以下の原付バイク(『原2』:ナンバープレートが黄色またはピンク色)や自転車を乗せる必要がある方は、簡単には行かなくなります。船の場合、四国汽船(香川県直島町)のフェリーを利用して直島で乗り継ぐか、四国フェリーグループの小豆島フェリー(高松市)で小豆島の土庄港まで行き、小豆島豊島フェリー(香川県土庄町)の宇野行きや両備フェリー(岡山市中区)の岡山航路に乗り継ぐ、または国際フェリー(香川県小豆島町)の高松~池田航路に乗り、池田港から土庄まで飛ばして乗り換えるなどの手間がかかります。
岡山県の地元紙、山陽新聞は
「原付で岡山~高松間を走るのが難しくなる。何としても存続してほしい」
という利用客の声を報じました。
最盛期には、民間全社が24時間運航を行い、宇高国道フェリーだけで1日68往復、四国フェリーは1日50往復、津国汽船も1日32往復運航。国鉄の宇高連絡船は廃止直前で1日15往復でしたが、宇野発高松行き最終便に接続する宇和島(愛媛県宇和島市)行きの急行『うわじま1号』と高知行き普通列車が、共に深夜0時台に出発して朝到着するという今ではあり得ないダイヤが組まれていました。
1988年(昭和63年)、JR瀬戸大橋線が開通すると、宇高連絡船は代替廃止になり、人だけの輸送は快速マリンライナーが主力になります。しかし、車は瀬戸中央自動車道の料金が片道6,300円とこれまたあり得ないレベルの高額設定だったため、瀬戸大橋への転移がなかなか進まず、並行する高速バスもわずか5年で廃止になる有様で、フェリーを運航する民間3社すべてが21世紀になっても事業を存続してきました。高松港の入港船舶隻数、フェリー旅客数およびフェリー貨物トン数も全国上位であり続け、瀬戸内海最大の重要港湾、四国の玄関口と言われ続けてきました。
ところが、1998年(平成10年)に明石海峡大橋が開通すると、四国と近畿圏を結ぶ長距離旅客は明石海峡大橋経由のバスへ一気に流れます。特に徳島県東部では、瀬戸大橋を回ると圧倒的に遠回りとなるため対近畿圏輸送はバスの独壇場と化し、高松からも2003年(平成15年)に全線開通した高松自動車道を経由する大阪や神戸へのバスが毎日50便以上運行されるようになりました。それでも本四連絡橋の料金の高さを嫌った長距離トラックに根強く支持されていたものの、ETC搭載を条件とする割引料金が導入されたことや民主党政権時代の社会実験によってようやく移行が本格化し、フェリー3社にとっての「この世の春」は終幕を迎えました。
『本四フェリー』とブランドを改めていた津国汽船は、2009年3月31日限りで運航を廃止し2012年に倒産。宇高国道フェリーは10年に1日22往復(1時間1本)へ減らした後、12年10月17日限りで休止となりました。2013年に入るとジェットスタージャパン(GK=JJP、千葉県成田市)が成田~高松・松山線、Peach(MM=APJ、大阪府田尻町)は関空~松山線を就航させ、SPRING JAPAN(IJ=SJO、千葉県成田市)も成田~高松に一時就航し、特に東京との間を結ぶ長距離客を中心に飛行機、それもLCCへの転移が加速します。14年には、社会実験の結果報告を受けた安倍内閣の指示でJB本四高速(正式社名:本州四国連絡高速道路、神戸市中央区)の建設費償還を日本高速道路保有・債務返済機構(横浜市西区)に移管して、瀬戸中央自動車道通行料金の大幅値下げを実現させました。
こうして最後まで残った四国フェリーも、14年7月15日限りで24時間運航をやめ、17年には1日5往復まで減らし、本船『第一しょうどしま丸』の老朽化も相まってついに運航撤退を決断せざるを得なくなりました。
岡山と宇野の間を結ぶ公共交通は、JR宇野みなと線と、両備ホールディングス(両備バス:岡山市北区)の玉野渋川特急線があります。一方、高松と宇野の間を移動する手段としては、JR瀬戸大橋線で茶屋町駅(岡山県倉敷市)まで行き、宇野みなと線に乗り換えるのが最も確実です。
しかし、125cc以下の原付バイク(『原2』:ナンバープレートが黄色またはピンク色)や自転車を乗せる必要がある方は、簡単には行かなくなります。船の場合、四国汽船(香川県直島町)のフェリーを利用して直島で乗り継ぐか、四国フェリーグループの小豆島フェリー(高松市)で小豆島の土庄港まで行き、小豆島豊島フェリー(香川県土庄町)の宇野行きや両備フェリー(岡山市中区)の岡山航路に乗り継ぐ、または国際フェリー(香川県小豆島町)の高松~池田航路に乗り、池田港から土庄まで飛ばして乗り換えるなどの手間がかかります。
岡山県の地元紙、山陽新聞は
「原付で岡山~高松間を走るのが難しくなる。何としても存続してほしい」
という利用客の声を報じました。