2019年2月2日土曜日

パキスタン航空が日本撤退!バンコク経由絶対必須に

パキスタン国際航空(PK=PIA、カラチ市)は、週2回運航している成田~北京首都~イスラマバード線のうち、成田空港と北京首都空港の間を運休すると発表、航空券の販売を取りやめました。

《2月15日のフライトをもって取りやめ》
PK852 PEK0850~NRT1305 月・金曜運航
PK853 NRT1435~PEK1705 月・金曜運航

(機材はB772 ビジネスクラス35席、エコノミークラス294席)
パキスタン航空は、1969年(昭和44年)11月に東京・羽田空港へ初就航しました。ちなみにこの時はまだ東パキスタンと言われていた、現在のバングラデシュのダッカから乗り入れていたという記録が残っています。現在まで続く北京経由の便は、1975年(昭和50年)2月17日からスタートし、1978年(昭和53年)5月20日の成田国際空港開港と同時に移動して、都合44年間維持されてきました。

当初は北京・イスラマバード経由カラチ行きの他に、マニラ・バンコク(ドンムアン)経由カラチ行きも存在し、1990年代まではビーマンバングラデシュ(BG=BBC)やエアインディア(AI=AIC)などと並んでバンコク行きの格安航空券が出やすかったため『バックパッカー御用達航空会社』などと言われた時代もありました。

その後、1997年頃にはバンコク経由日本便を廃止、マニラ経由と北京経由に変更。更にマニラ経由も廃止して、週2便の北京経由だけが残りました。北京経由便は、春秋航空(9C=CQH)などの中国系LCCが出てくる以前は、中国から旅を始めようとする日本人バックパッカーや在日中国人にも利用されていましたが、何せパキスタンから飛んでくるので遅延や欠航が多かったこともあり、中国系LCCの急成長によってそれらユーザーも離れていきます。しかし、2016年までは通路2本のワイドボディにもかかわらず200席程しかなかった中型機のエアバス310を使い、何とか採算ギリギリのラインを維持していました。

2017年(平成29年)1月2日のフライトから、エアバス310に代わってB772が導入されます。しかしB772は、エアバス310と比べて100席以上も座席数が多く、特に成田~北京間は搭乗率が元々悪かったために赤字を垂れ流す状態となってしまいます。パキスタンに進出している自動車大手のスズキ(浜松市南区、東証1部上場)やホンダ(本田技研工業:東京都港区、東証1部・NYSE上場)など日系企業も、出張者や駐在員の往来にパキスタン航空を使わなくなり、採算改善の見通しが立たないと判断。今回、北京経由成田便を北京で打ち切ることにしたものです。

今後、旅行者が日本からパキスタンへ行くには、タイ国際航空(TG=THA)でバンコク(スワンナプーム)乗り換えか、中国国際航空(CA=CCA)で北京首都空港乗り換えが必要になります。もっとも、現地の駐在員は休養や日本食材の調達などでバンコクを訪れる機会が多いといい、実務的には事実上、TG一択と言わざるを得ません。

(この項、青木武治さん/フランス・パリ からの投稿です)
当方、某大手自動車メーカーの駐在員として数年前までパキスタンの合弁先に勤務していました。うちの会社は二輪・四輪共にタイに主力工場を持っていて、国を跨いだ駐在員同士の交流もある関係で、パキスタン現法の日本人駐在員が日本に帰るときにパキスタン航空を使うことはほとんどありませんでした。THAI利用のバンコク経由が基本で、バンコクにストップオーバーすることもあり当方はその際に、ふくちゃん軒のラーメンを食べて董事長ふくちゃんと知り合ったのです。