2018年12月10日月曜日

ママズゲストハウスが閉鎖!!20周年で歴史に幕

(この項、ザビエル古太郎さん/鹿児島県 からの投稿です)

カオサンで20年近くに渡って営業してきたドミトリー中心のゲストハウス『ママズゲストハウス』(プラナコン区)が、ひっそりと歴史の幕を閉じたことが明らかになりました。

12月9日の『BIKE FOR DAD』を見に行くため久しぶりにカオサンを訪れたのですが、一時帰国前には営業していたママズが、シャッターを閉ざしています。おかしいなと思って裏のおばちゃんに聞いたところ、

「2~3カ月くらい前に店をたたんで、ママさんは田舎(スパンブリ県)に帰ったみたいだ」

とのことです。

(董事会から)
創刊13年、ついにたどり着いた2000本目の更新で、多くのバックパッカーが旅立って行ったママズの閉鎖をお伝えする記事を出すのは何とも切ない。一つの時代の終焉を、はっきりと感じます。

日本人のバックパッカー旅行が一大ブームになって、もう20年以上。その頃20代から30代だった若者たちも中年になって、ドミトリーに足が向きにくくなったり、また後の世代は円安で海外旅行へ出にくくなったり。そんな中、ママズは時代の変化に付いていくことができなかったのでしょうか。

ママズゲストハウスは、1998年に『フレンドリー2』の名前でスタートし、2001年頃までに現在の名前になりました。当時はドミトリー1泊50Bt.(130円)という他国では考えられない安宿だったため、連日のように押し寄せる日本人バックパッカーで満室になることもしばしばでした。2000年代前半の最盛期には、、日本料理屋『ママズキッチン』や洋風バー『MAMA SOL BAR』(天野寛さん/大阪府高槻市)などここを舞台に起業しようとする人も現れました。

小生も2000年代中頃の約5年間をこの界隈で過ごしました。弊誌Traveler's Supportasiaも2004年にカオサンで産声を上げ、2009年2月までは主にカオサンのネット屋で記事を更新していました。

2006年の9.19クーデターをきっかけに旧市街を離れる旅行者が相次ぐようになり、2008年のスワンナプームショック、2010年のUDD軍カオサン市街戦でバンコク旧市街に対する日本人のイメージはどんどん悪化。一方で、エアポートリンクの開業によってスワンナプーム空港への鉄道によるアクセスが可能になると、パヤタイ駅やマッカサン駅(ラチャテーウィ区)でBTS、MRTに乗り継いでホテルへ向かう旅行者が増え、鉄道駅から遠く離れた旧市街のカオサン・バンランプーは次第に敬遠されていきます。さらに2011年の洪水、2014年の5.22クーデターなどが追い打ちをかけ、日本人バックパッカーは決定的に離れていきました。

同じランブトリ通りにあった『さくらハウス』は5.22クーデター直前に閉鎖し、残ったママズもガダルカナル・関所さんやキンチョール金井さんといった日本人ロングステイヤーが本帰国したり、他地域あるいは他国へ移ったりするなどして次々と店を後にしていきます(前記事「引きこもりを非とする意志がある」参照)

AgodaやBooking.comなど、世界規模でホテルやゲストハウスの予約ができるOTA(オンライン専門代理店)も普及し、バンコクでは1泊200Bt.以下の激安ゲストハウスですら予約ができるようになって、安宿と言えばカオサン、カオサンを象徴するのはドミトリーという時代は終わりました。そして、オーナーのチャロンさんも収益性の面でゲストハウス稼業に見切りをつけたとみられ、52歳の誕生日を迎えた9月に店を営業終了して、故郷のスパンブリ県に戻ったということです。