2016年12月13日火曜日

梅宮貴子さん急逝!!若過ぎ41歳これからのはずが…

B級ニュースサイト『探偵ファイル』などで東南アジア関連の記事を手掛けられていたフリーライターの梅宮貴子(うめみやたかこ=本名:梅津貴子・旧姓=宮田)さんが、12月10日朝、大阪府四条畷市の実家で亡くなっているのを家族に発見されました。享年41歳。1990年代のベストセラー『41歳寿命説』を地で行くかのような余りにも早すぎる旅立ちに、関係者一同ただただ驚いています。

1975(昭和50)年8月28日生まれ。小学校時代からMSXパソコンでプログラミングに親しむなど時代の最先端を進みますが、東京都立荒川工業高校(東京都荒川区)を卒業して社会人になると、突撃体当たり系のフリーライターとしてそれこそどんなテーマでも手を出すほどの破天荒ぶりを見せ、2001年には『梅宮貴子の実践!ネットアイドルのなり方・やり方・稼ぎ方』(エクシードプレス)という単行本を上梓。この本以降、「梅が好き」と旧姓の「宮田」から1文字ずつ取った、「梅宮」というペンネームを使うようになりました。

2002(平成14)年、結婚。2ちゃんねるで知り合った旦那様とライブハウス『ロフトプラスワン』(東京都新宿区)で挙式するという相変わらずのハチャメチャな展開に、関係者はまたしても騒然となります。その後もオタク系サブカルチャーの担い手の一人として一部で熱狂的な支持を集めました。

一方で、タイを中心に東南アジアに興味を持つライターとして活躍の幅を広げ、2008(平成20)年、カオサンで董事長ふくちゃんと出会います。当時、ホームレス状態ながらも弊誌編集に全力を傾けていた小生との交流は、死の直前まで続く彼女にとって貴重な時間になっていきました。

2016(平成28)年8月、離婚し実家に戻った梅宮さんは、発達障害の一種であるADHD(注意欠如多動性障害)が化学療法を必要とするほどに悪化。子宮頸がんを発症しているかもしれないと周囲に漏らすなど精神的・肉体的にやつれていたものの、小生には

「2~3年かけてじっくり身体を治したらタイに移って、本格的にライター稼業でやっていきたい」

と将来の夢を語っていました。

しかし、12月9日(金)夜、就寝中に虚血性心不全を発症。10日朝に起きてこなかったためご両親が見に行ったところ、貴子さんの身体は既に冷たくなっていたとのことです。司法解剖の結果事件性はないと判断されましたが、人生の幕切れは余りにもあっけないというか、最も苦しまないと言うか。逆にFacebookでは

「誰もがネタかと信じて疑わなかった」

とも記述されるほどだったと言います。葬儀は12月12日(月)、近親者のみの密葬で営まれその日のうちに荼毘に付されたとのことです。

小生と梅宮さんが出会って、9年目の秋。まさかこのような形で、梅宮さんから先立つ形での今生の別れが来るとは思いませんでした。今頃は、お空の上で大好きだったお酒を酌み交わしながら後継世代に託せるネタを考えているのかもしれません。小生は、梅宮さんと交流する機会を得た人間として、彼女がこの世でやり残したであろう旅のネタを受け継ぐのが、弊誌Traveler's Supportasiaにできるせめてもの供養だと信じて、今後の編集に取り組む所存です。