1923年(大正12年)、当時大英帝国の植民地だったシンガポールに生まれ、大東亜戦争で故郷が大日本帝国海軍の侵略を受けると、南西方面海軍民政府報道部に約1年の間奉職しました。自らの日本軍属としての経験が、戦後の日本とシンガポールの良好な関係の基礎になったといっても過言ではありません。
戦後、英国留学を経て法曹資格を取り、1954年、PAP(国民行動党)結党に参加。植民地自治州首相、マレーシア併合後の州首相を経て、1965年にシンガポール州を分離独立させてシンガポール共和国初代首相となりました。その後は、「開発独裁」と言われる独特の発展手法で単なる都市国家にとどまらない世界有数のビジネスセンターに成長させ、1968年(昭和43年)のASEAN結成でも大きな役割を果たしました。
1990年(平成2年)、ゴーチョクトン(呉作棟)首相を後任に指名して上級相に就任。2004年(平成16年)には長男のリーシェンロン(李顕龍)首相の就任に伴い、顧問大臣となっていましたが、2011年(平成23年)、ゴー上級相の退任と同時に第一線から退きました。