2018年3月27日火曜日

JR「夕張線」来年3月で廃止!「石勝線」は存続

JR北海道(札幌市中央区)は、明治中期から120年以上に渡って続いてきた石勝線の新夕張~夕張間(北海道夕張市、16.1Km)を廃止することで地元と合意し、26日、廃止届を国土交通省鉄道局(東京都千代田区)に提出しました。

別名「夕張支線」ともいわれるこの区間は、1892年(明治25年)、夕張炭田での採炭に乗り出した北海道炭鉱汽船(北炭:東京都中央区)の前身会社「北海道炭鉱鉄道」によって整備されたものです。旧官営として先行した幌内炭鉱(北海道三笠市)と本州への積み出し港の室蘭(北海道室蘭市)を結ぶ目的で作られた室蘭線から、追分駅(北海道安平町)で分かれ、北炭夕張炭鉱と室蘭港、さらには石炭の地元消費のために北炭と同じ三井財閥源流の輪西製鋼所(現在の新日鐵住金室蘭製鉄所)を結ぶ貨物中心の鉄道として、石炭の街の発展を支えました。

しかし、北海道の中心都市札幌への輸送には北炭が大正末期に独自に建設した『夕張鉄道』(野幌~夕張本町間53.6Km)が主力となり、旧国鉄は昭和30年代の夕張炭鉱全盛期になってようやく準急(後の急行)列車の運転を始めたものの、当時は追分~南千歳(北海道千歳市)間に線路がなく、追分駅と岩見沢駅(北海道岩見沢市)の2回、列車の向きを変える必要があるという有様で、10年ほどで廃止。夕張鉄道も、北炭夕張炭鉱の採炭縮小によって1971年(昭和46年)に旅客営業廃止となってバスに転換されます。

1981年(昭和56年)、根室線に代わる札幌と道東を結ぶ短絡ルートとなる『狩勝線』が開業すると、夕張線は狩勝線と統合して現在の石勝線となり、狩勝線への連絡地点とされた紅葉山駅(北海道夕張市)は駅名を「新夕張」と改めました。同時に追分と南千歳の間にも新線ができ、特急『おおぞら号』による札幌と夕張の都市間輸送が実現しましたが時既に遅し。開業のわずか13日後に北炭夕張新鉱事故が起こり、夕張炭田の競争力は決定的に失われます。1987年(昭和62年)には北炭最後の夕張地区拠点となった真谷地炭鉱が閉山し、1990年(平成2年)の三菱南大夕張鉱閉山で、夕張の石炭産業は事実上壊滅。夕張市の人口も2013年(平成25年)に1万人を割り込んで、財政再建団体に転落。新夕張駅から分かれる形になった夕張支線の乗客数は、年々減っていきました。

狩勝線部分を含む石勝線全体としての採算は、JR北海道が2016年(平成28年)11月に発表した当社単独では維持することが困難な線区についてという資料で、「単独で維持可能」とはされたものの、夕張支線部分だけを抜き出して考えると、1日平均の輸送密度が80人と、国鉄再建法(1980=昭和55年法律111号)による『第1次特定地方交通線』(営業キロ50Km以下かつ輸送密度500人以下)の水準を大きく下回る状況。加えてさすがに旧北炭鉄道時代のものはないものの完成後100年以上を経ている設備の更新などに数十億円単位の資金が必要。なおかつ夕張市の人口減少によって今後、鉄道の利用が急回復することは望めないなどの理由を総合して、鈴木直道市長自ら、夕張支線のバス転換をJR北海道に「逆提案」してきました。

夕張支線の列車の運行は2019年(平成31年)3月31日限りとなり、翌4月1日からは現在も北炭グループの会社として健在の夕張鉄道(夕鉄バス:北海道夕張市)が代替バスを運行します。夕鉄バスでは、夕張支線に並行して札幌線(新さっぽろ駅~新夕張駅)1日3往復と夕張市内線(社光~夕張高校正門)1日7本が運転されていますが、鉄道廃止後は新夕張駅と社光の間に1日10本程度を運転し、特急『スーパーおおぞら』『スーパーとかち』や、新夕張打ち切りとなる追分・南千歳方面行き普通列車への接続を確保します。途中の南清水沢駅にはJR北海道と札幌発祥の家具販売大手ニトリホールディングス(東京都北区、東証1部上場)の支援でコミュニティバスに接続するバスターミナルが設けられます。