2013年2月17日日曜日

JR周遊きっぷ、58年の歴史に幕

JR東日本(東京都渋谷区、東証1部上場)などJRグループ6社は、1998年から発売を続けていた周遊割引乗車券『周遊きっぷ』を3月31日発売分限りで廃止すると発表しました。旧国鉄時代の一般周遊券以来、58年に及んだ歴史でしたが、飛行機やバスなど鉄道以外の交通手段が日本の長距離交通でシェアを伸ばそうとする中、静かに姿を消すことになります。

周遊きっぷの基となった『一般周遊券』は、旧国鉄発足から6年が経過しすっかり落ち着いた1955年(昭和30年)にスタートしました。当時は

・出発地と帰着地が同一の駅であること
・全行程中の鉄道利用距離が201km以上あること
行程中に国鉄が指定した観光地(周遊指定地)を2カ所以上回ること

という条件を満たせば、利用者が自由に行程を組むことができました。しかし、周遊指定地の制度が非常にややこしく、事前にすべての行程を確定して一括で買わなければならないなどの面倒臭さもあって、翌1956年(昭和31年)にはある特定の地方内の国鉄線、国鉄バスが乗り降り自由となる『均一周遊券』(後の「ワイド周遊券」)が生まれます。均一周遊券は駅に常備することができ、利用開始当日でも購入することができたため、大きく売り上げを伸ばしました。

その後、1972年(昭和47年)には一般周遊券のモデルコース版ともいえる『ルート周遊券』と、 『ミニ周遊券』が誕生。ミニ周遊券は均一周遊券の利用範囲を狭めて手頃な値段で購入できるようにするとともに全国主要都市への観光・ビジネスの利便を図り、1990年代中頃まで目的地への往復乗車券の代わりに購入する乗客が目立ちました。

国鉄時代末期からJR東日本初期にかけての首都圏地区では、出発地から東京までの距離に合わせて『国電・都区内フリーきっぷ近郊発売用』(50km以内、前記事「誤解禁止!『都区内フリーきっぷは近郊地区発着だ」参照)、 『東京自由乗車券』(51km~100km)、『Qきっぷ』(101km~200km)、『東京ミニ周遊券』(200km以上)を使い分けて販売していました。 ちなみに、『ホリデー・パス』(現・週末おでかけパス)の前身となる『グリーンデーフリーきっぷ』を開発する際には、いわゆる国電区間(現・電車特定区間)全線が乗り放題となっていた『東京ミニ』を参考にしたという逸話すら残っています。

また、ワイド周遊券は、1980年代に国鉄全線完乗をテーマに展開された『いい旅チャレンジ20000km』キャンペーンで、『青春18きっぷ』と共に攻略の必須アイテムとして持て囃されました。

しかし、1998年(平成10年)、周遊券は周遊きっぷに生まれ変わります。ミニ周遊券の商品性を時代に適うように見直し、一方で一般周遊券のルーティングの手間を省くことが狙いでした。ところが、周遊きっぷは利用開始当日には購入できなくなり、悪い意味で先祖返りしてしまいます。

2000年代に入ると、JR東海(名古屋市中村区、東証1部上場)が導入した『エクスプレス予約』『EX-ICサービス』が伸び、東海道新幹線沿線から東京や大阪周辺の自由周遊区間がない切符を購入する利用者が大多数を占めるようになります。航空会社の割引運賃の多様化や、高速ツアー(ツーリスト)バスの台頭、夜行列車運転の縮小などで、鉄道を取り巻く状況は大きく変化し周遊きっぷの売上も年を追って減少。発売開始当初全国で67あった周遊ゾーンは、昨年4月には東京、京阪神、および3島会社関連など全部で13にまで縮小されていました。

そして、ジェットスタージャパン(GK=JJP、千葉県成田市)やPeach(MM=APJ、大阪府泉佐野市)、エアアジアジャパン(JW=WAJ、千葉県成田市)といった格安航空会社(LCC)による空の旅の多様化や交通系ICカードの全国共通利用化(前記事「日本の交通系ICカードが全国共通になる」参照)を見届ける形で、JRは周遊きっぷの歴史に終止符を打つことを決めました。