成田国際空港で制限エリア内免税店を手がけていた「ヱムパイヤエアポートサービス」(東京都港区)が、1月12日限りで事業を停止し翌13日、東京地方裁判所民事部に自己破産を申し立てました。昨年10月の羽田国際線ターミナル開業で旅行者が分散し、売り上げを落としていたとみられ負債総額は15億円に上るとのことです。
エムパイヤは1966年に設立され、羽田空港旧国際線ターミナルを皮切りに免税店事業を営んできました。1978年の成田空港開港後は成田に移り、「ジャパンデューティフリー」(日本空港ビルデング)、「JAL DUTYFREE」(JAL-DFS)、「ANAハウス」(全日空商事)と共に事業の幅を広げ、最盛期には100億円を超える年商を記録、高額納税者公示の常連として栄華を極めました。しかし、成田国際空港会社が直営店「FASORA」「ナリタ五番街」を展開すると、エムパイヤにはブランドブティックが少なかった(倒産直前にはETROだけだった)ことが響いてきます。
また、機内への液体物持込規制が導入された後は、ウイスキーや香水といった主力商品の販売にも支障が出るようになりました。特に乗継があると、出発地の制限エリア内で購入した液体物でも乗り継ぎ地の検査基準で没収されてしまう恐れがあり、例えばアメリカ経由で南米大陸とか、バンコク乗り継ぎでインドなどというお客様は乗り継ぎ地の制限エリア内で購入することを強いられるようになりました。出発地の日本で全部揃えることができなくなれば、需要が落ち込むのは当然のことでした。
(画像1:機内への液体物持込に関して、国土交通省の説明)
そして、リーマンショック以降の世界経済全般の落ち込みにより海外旅行の需要が減ったこと、2010年10月の羽田新国際線ターミナル完成で東京発の海外旅行者が分散したことで、エムパイヤの売上高は最盛期の4分の1にまで落ち込み、2期連続で億単位の赤字を計上。過去の栄光と利権だけでビジネスを維持していくのは困難になりました。年末年始の海外脱出ラッシュが終わった1月12日(水)、東京の本社事務所を閉鎖。成田空港の店もすべて閉め、事後処理を弁護士に一任。弁護士は東京地方裁判所とも相談の結果、45年に渡った会社の歴史に幕を下ろすことになりました。
(画像2:羽田新国際線ターミナルの制限エリア内。写真提供:たけぞうさん/神奈川県)