2009年1月6日火曜日

キキキハウス、事実上閉鎖

 バンコク・カオサン通りで数々の日本人差別を繰り広げ、Traveler's Supportasiaでも事あるごとに非難してきた「キキキゲストハウス」が、昨年12月30日限りで事実上、営業を終了しました。スワンナプンショック以降、カオサン・バンランプー地区のゲストハウスが閉鎖に追い込まれるのはトラベラーズロッジ(前記事「カオサントラベラーズロッジ、閉鎖」参照)に次いで2軒目となります。

(画像1:閉鎖されたキキキハウス1)


 2004年10月、向かいの美容院の軒先から当時のママズII1階にあったレストラン「ママズキッチン」の軒先に移転したキキキトラベルは、2ヵ月後の閉店を受け、事実上乗っ取るような形でキキキゲストハウスを立ち上げました。2005年1月には、当時オーバーステイ状態にあった董事長ふくちゃんを移民庁に密告して追放(詳細は「日本を降りる若者たち」1章参照)。直後にはキキキハウスIの2階でタイマッサージをやっていたママズのオーナー、たれままことチャロンさんに給料を払わず、決定的対立を生みました。
 2005年9月、董事長ふくちゃんが日本から帰国すると、「ナイスフライング」のP'Jumさんは泣いて喜び、ふくちゃん、チャロンさんを巻き込んだキキキへの報復が始まります。その頃キキキハウスは絶頂を謳歌し、2005年12月には3棟、収容人員50人まで拡大していました。

 しかし徐々にキキキは追い詰められていきます。2006年3月にまず1棟を閉鎖(前記事「キキキハウス2、閉鎖」参照)。その後はオーナー、KIKさんの態度に反駁する宿泊者を容赦なく出入り禁止にし、特に日本人には差別的な態度を繰り返していきました(前記事「キキキ傲慢、任せるのが義務」参照)。その一方で欧米人に対しては極端にフレンドリーな態度を見せ、そして日本人に代わる収益源としてアフリカ諸国や中国からの旅行者も、なりふり構わず受け付けるようになりました。

 それでも客室稼働率は低迷し、旅行代理店としても、最も利益率の高い航空券の売り上げが激減。そこへスワンナプンショックが襲い、KIKさんはチェンライ県の実家を使ったホームステイ的な形のゲストハウス経営に変えたいと考えるようになりました。2008年12月30日に最後まで残ったアフリカ人の宿泊者がチェックアウトしたのを受け、キキキハウス1を閉鎖。キキキハウス2も、1月1日以降はランドリーサービスとツーリストバスの販売に専念し、ゲストハウスとしての役割を事実上終えました。

 もっとも、KIKさんはママズの日本人常連に対し「お金いっぱい。今後2度と働かなくても一生やっていける」とうそぶく一方、もう少し稼ぎたいからランドリーはまだ暫くやるなどと抜かしています。はっきり言って信用できません。

(画像2:ゲストハウス閉鎖後もランドリーに出された洗濯物が一杯。ただし、日本人が持って行っても断られる)