2007年4月22日日曜日

ビザなし基準日リセットの目安は?

 ビザなし6ヶ月90日ルールが導入されて半年。そろそろ2回目の基準日を迎える人が多いと思います。次の基準日に向けて、各ボーダーの担当官はどのような解釈をしているのでしょうか。

 バンレム(チャンタブリ県)の担当官は、ビザランツアー最大手のジャックスゴルフ(バンコク首都圏クロントイ区)の照会に対し、「6ヶ月経過後の応当日にそれまでの在留日数はリセットされ、新たに90日間のビザなし在留が可能になる」と説明。しかし、アランヤプラテート(サケオ県)では誤った解釈をし、ビザランに来る沈没組に入国拒否の雨を降らせています。


 バンコク首都圏からのビザランツアーで来た沈没組が、それまでの在留許可日数を忘れていて「今出国したら正規ビザを取らないとタイに戻れなくなる」と警告され、出国を中止して帰ってくる例が後を絶たないそうです(前記事「プノンペンに集まる沈没組、回避策は?」参照)
 ビザランツアーを手掛けている韓国系の「FINEDAY TOURS」(バンコク首都圏ヤンナワ区)は昨年12月以降、それまで日本語フリーペーパーに載せていたビザランツアーの広告を全て中止。DACOでの広告連載を取りやめ、タイ自由ランド連載の広告も正規ビザ取得ツアーのものに差し替えるなど、日本人客へのビザランツアー販売を控えています。
 4月になって、アランヤプラテートの担当官が出国時の航空券も要求するようになると(前記事「ビザなし入国に航空券が!?」参照)、ジャックスゴルフもアランヤプラテートへのツアーを中止(事実上の撤退)、それまで毎日2台出していたビザランツアーを1台に減車しました。

 それでは、他のボーダーは6ヶ月90日ルールと基準日をどう理解しているのか。

 泰寮第1友好橋(ノンカイ県)でビザクリアを済ませた管理者ふくちゃんの場合、1回目の基準日は昨年10月8日でした。このときはメソット(ターク県)でクリアした(前記事「タイビザの発給基準、未だに曖昧」参照)のですが、それから6ヶ月を経る4月8日に再入国を試みようと、4月4日にバンコクを出発、ビエンチャン市で集中取材に取り組みました。そして4月8日。タラートサオ12時40分発の国際特急ノンカイ行きでタイへ向け出発です。
  ラオス出国審査を無事クリアし、橋を渡るといよいよタイ入国審査です。ADカードに記入して提出すると、担当官は基準日設定の有無、ビザ取得の事実を中心にパスポートの査証欄をチェックしてきます。国際特急の乗車券も参考に出したのですがすぐに返してきます。ましてや航空券を問うことはありません。その結果、基準日がクリアされているか否かに関係なく30日の在留許可はできると判断。5月7日まで30日の在留許可をスタンプしてきました。基準日を示す「①」の文字も書かれませんでした。
 同様の方法で、副管理者fortunesawadaも4月22日、泰寮第1友好橋に向かいました。24日の再入国では先客のトラブルもあり、ホイホイと通過。5月23日までの在留許可を得ました。

 サダオ(ソンクラー県)では、昨年10月25日に入国していたある日本人旅行者が今年4月5日に再入国した際、ネパールビザやインドビザがあっ て明らかに半年間のビザなし在留日数が60日を下回っているのに、20日間しか在留許可しませんでした。在留許可の切れる4月24日が次の基準日で、その日にビザクリアしてリセットしなさいという意味だと管理者ふくちゃんは推測したのですが、その人はバックパッカーで21日に日本帰国だったからまだよかっ た。同じことを沈没組が受けたときは、1ヶ月に2回のビザクリアが必要になる恐れもありますが、サダオの担当官は本来なら完全自己責任になるべき基準日管理を在留許可の短縮という形で実質的に支援してくれていると考えたほうがいいかもしれません。

 ボーダーの理解度は担当官によっても変わりますが、現時点では、沈没組にとって最も不利な解釈をするアランヤプラテートへのビザラン自体を当分やめたほうが結果的に有利だといえます。ビザランツアーの主力は完全にバンレムに移りました。一方メソットがミャンマー側の情勢次第で不安定な状況ですから、バンコク首都圏から個人でビザクリアに行く人がノンカイやラノーンを選ぶのもわかります。管理者ふくちゃん、副管理者fortunesawadaも沈没組の皆さんと同様の激闘を今後も続け、逐一状況を報告します。1日でも長くタイ生活をエンジョイするために、共に戦いましょう。